教皇勅書の効果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 08:31 UTC 版)
「トルデシリャス条約」の記事における「教皇勅書の効果」の解説
1493年に発布されたアレクサンデル6世の教皇勅書インテル・カエテラの効力はスペイン、ポルトガルの両国において無視され、代わりにトルデシリャス条約を二国間の協議で締結した。1512年、ポルトガルがスパイス諸島を発見したことを受けて、スペインは1518年に教皇アレクサンデル6世が世界を2つに分けたという説を唱えたが、この頃までには他のヨーロッパ諸国は、教皇が新世界のような広い地域の主権を贈与する権利があるという考え方を完全に拒否していた。スペイン国内でもフランシスコ・デ・ビトリアのような有力者がインテル・カエテラの有効性を否定していた。スペインはローマ教皇庁の教皇勅書に基づく領有権を放棄しなかったが、スペイン王家は大西洋の境界線をめぐってローマ教皇の制裁を求めることもしなかった。むしろスペインはポルトガルと直接交渉をすることを選んだ。 1537年の教皇勅書スブリミス・デウスによって教皇アレクサンデル6世の教皇勅書インテル・カエテラは無効にされたという。
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