波乱の生涯を終えて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 17:41 UTC 版)
「ピウス9世 (ローマ教皇)」の記事における「波乱の生涯を終えて」の解説
1878年2月7日、教皇宮殿にて死去した。在位期間は31年7か月におよび、史実で明らかな教皇たちの中では最長の在位期間を記録した。遺骸は遺言により、ローマ帝国期に殉教した聖人ラウレンティウスを祀るサン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂に埋葬された。イタリア王国による自らの苦悩を殉教者に例えるという抗議の姿勢であったが、長年にわたるピウス9世の保守的言動に反感を持つ人々は多く、7月12日の葬儀ではデモが起こり、棺に泥を投げつけ、あわやテヴェレ川に投げ込もうとする騒擾へ発展するなど、即位時と全く異なる状態であった。 2000年9月3日、教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。
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