教皇庁との交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 14:26 UTC 版)
以後の12年間、教皇庁と聖ピオ十世会との間にほとんど対話は行われなかったが、このような状態は、この団体の催したローマへの聖年の大規模な巡礼の時に終わりを告げた。 2009年1月、教皇庁は1988年の司教叙階によって宣告されていたこの団体の司教たちに対する破門を解除し、この団体の成員達が、すみやかなる教会との一致に戻ることにより、これに従うようになることを希望する、と発表した。同年3月、教皇ベネディクト16世は、2009年3月に「規律上というより教理上の理由により、聖ピオ十世会はカトリック教会の中に法的地位を持っておらず、その聖職者は教会内の不法な聖職者によって養成されている」と宣言した。これに対し、聖ピオ十世会側は、ローマ教皇庁がその存在と使徒職の合法性や有効性についていくつかの承認を与えたなどと主張している。また、同年6月に、聖ピオ十世会が教皇庁の反対を押し切ってアメリカで13名の司祭を叙階した時には、それに対して教皇庁は「今回の叙階を正当なものとは認めない」とし、また現地カトリック・ウイノナ司教区の報道官は、「教理上の問題がはっきりしない限り」、聖ピオ十世会はカトリック教会の中で法的な地位はなく、叙階は有効ではない」とコメントし、同会と教皇庁の関係の修復が容易ではないことを示す形となった。同じく2009年6月、フランツ・シュミットバーガー神父(聖ピオ十世会ドイツ管区長)は、聖ピオ十世会はオプス・デイのような属人区を目指している、と発言している。ただしシュミットバーガー神父の考えは、「教義的な問題点は明らかに残り、未だに聖ピオ十世会は教会内で非合法状態にあり、その聖職者たちはいかなる聖務も合法的にできない状態にあるので、教会の合同聖餐への道を再発見することによって」この団体になおも帰一を望んでいる教皇庁と見解を等しくするものではない。2011年、バチカンプレスの責任者、フェデリコ・ロンバルディ神父は2009年3月のベネディクト16世の声明を再度、繰り返した。「聖ピオ十世会は教会法上の立場を持たない限り、その聖職者達は教会の中で合法的に聖務を行えない。教義上の問題が解消され、この団体とその聖職者達が教会内に立場を得るまでいかなる聖職行為も教会の中で合法的には行えない」。 その後、総長シュミットバーガー神父、及びベルナルド・フェレー司教の下で、一致に向けたバチカンとの交渉は続き、2015年、教皇庁広報局長のフェデリコ・ロンバルディ神父(イエズス会)は、教皇庁と聖ピオ十世会との接触は続いているとしたうえで、2015年12月8日から翌年11月までの間の「いつくしみの特別聖年」期間中、教皇フランシスコはこの団体の中で行われるゆるしの秘跡を有効とすると発表した。また、教皇は十全な交わりが早く回復されることを願っている、としている。
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