改造後の運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 13:55 UTC 版)
「広島電鉄2500形電車」の記事における「改造後の運用」の解説
3100形3102編成(左)・3101編成(右)(荒手車庫 2004年6月) 改造を終えた3101編成は1986年(昭和61年)1月20日に広島電鉄へ引き渡され、試運転を実施したのち就役した。3102・3103編成についても1986年(昭和61年)度内に営業運転に導入され、計3編成が出揃った。 1988年(昭和63年)に3101・3102編成が3500形および3700形と同一のアイボリー地に窓周りと車体裾部に緑帯を配した現行塗装に変更され、両先頭車の側面窓下に「ぐりーんらいなー」のロゴが追加された。残る3103編成については、西ドイツの画家であるジョー・ブロッケルホフによる平和への願いをテーマとした空色基調のエアブラシ画が車体全面に描かれ、同年8月6日の広島原爆記念日より「ピースバーン号」として運用を開始した。 「ピースバーン号」の企画は、以前より世界最初の被爆地である広島へ興味を寄せていたブロッケルホフが、西ドイツ在住の日本人ジャーナリストより広島電鉄に西ドイツ・ドルトムント市電の車両(70形電車)が導入されていることを伝え聞いたことを契機に、ブロッケルホフ本人より広島電鉄側へ持ち込まれたもので、広島電鉄側もこれを快諾、各種打ち合わせを経て同年7月中旬から8月5日にかけて塗装作業が実施された。エアブラシ画によるイラストは、平和の象徴である鳩を前後妻面に描き、側面の編成全体に世界中の様々な人種・動物・広島市内の街並み・7色の虹などを描いたものであった。 3103編成は1992年(平成4年)5月の定期検査に際して、外板補修のため塗装を剥離する必要性が生じた。また、イラストそのものも経年による塗膜のひび割れなど傷みが生じており、維持が困難となりつつあったことから、当初は外板補修後に車体塗装を3101・3102編成と同一の「ぐりーんらいなー」塗装へ変更することが予定された。しかし、鉄道ファンや沿線利用者からイラストを残して欲しいとする声が多数寄せられ、広島電鉄側もそれら要望や製作者であるブロッケルホフの意図を尊重する形で計画を変更、前面や傷みの進行した屋根部など必要最低限の箇所の補修および再塗装に留め、側面のイラストの大部分は残された。再塗装が実施された部分については「ぐりーんらいなー」塗装に変更されたが、両先頭車の側面窓下には「ピースバーン号」のロゴが貼付され、また側面幕板部には1994年(平成6年)に広島市内において開催されるアジア競技大会に関するメッセージロゴが新たに追加された。 その後、1995年(平成7年)8月の定期検査入場をもって「ピースバーン号」の運行は終了、出場に際して3103編成は「ぐりーんらいなー」塗装へ変更された。 2012年(平成24年)10月現在、全編成とも朝ラッシュ時間帯及び花火大会等イベント時など主に車両不足時に運用されている。広島駅に乗り入れることは殆どなく、市内線に乗り入れる際は平日朝ラッシュ時に宮島線内→広電西広島→紙屋町西→広電本社前の0号線で運用される。また、2000形の運用離脱および3000形の市内線転用に伴って、3100形は直通運用および宮島線内運用に充当される唯一の吊り掛け駆動車となっている。
※この「改造後の運用」の解説は、「広島電鉄2500形電車」の解説の一部です。
「改造後の運用」を含む「広島電鉄2500形電車」の記事については、「広島電鉄2500形電車」の概要を参照ください。
- 改造後の運用のページへのリンク