技術開発の停滞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 03:42 UTC 版)
「日本の電気機関車史」の記事における「技術開発の停滞」の解説
国鉄における電気機関車の抜本的な技術改革は、1960年代で概ね終了し、それ以後は、国鉄のもつ標準化思想やモータリゼーション進展による貨物輸送の衰退の影響もあって、長い停滞の時代を迎えた。 最後の国鉄電気機関車の新製機となったのは、1980年から製造されたEF64形1000番台である。性能的にはEF64形0番台を踏襲するものの、機構的には徹底的なリファインが行なわれ、全く別形式といってよいほどの変貌を遂げている。しかしながら、労使紛争による労働組合側からの新車投入に対する反対運動(リストラにつながる合理化反対の意味合いが強い)への対策から、新形式は与えられず、既存形式の新番台区分として処理された。こうした例は、全く異なる制御機構を採用しながらも、車軸配置が同一の既存形式に編入されたED76形500番台でも見られた現象である。 そのような状況の中、山陽本線の補機専用の改造車ではあるが、1982年から改造されたEF67形は電機子チョッパ制御を採用し、高い粘着性能と回生ブレーキを実現した。その後VVVFインバーターと誘導電動機を使用する方式が主流となったため、この形式が直流電気機関車で唯一の電機子チョッパ制御車となっている。 私鉄においては、もともと貨物輸送自体が小規模であったこと、列車の運行密度が低く低速の貨物列車が高速の旅客列車の運行障害になることが少ないことから、出力400 - 600kW前後の4軸中型機が中心で、メンテナンスの都合もあって走行部も電車用台車と電動機を歯車比を変更する程度で流用したものも多かった。戦後は日立製作所が1台車1電動機方式や軸重移動を補償する特殊構造台車などの粘着性能向上を目的とした改良や、西武E851形のような国鉄機に匹敵する高出力機も見られるものの、大部分は日立製作所、東芝、三菱重工、東洋工機の規格型機関車で技術的に見るべきものは少ない。しかも貨物輸送の衰退から、私鉄向け電気機関車の新製は1970年頃より一部の例外を除いて行なわれなくなっている。 貨物輸送を廃止した私鉄では、事業用(保線車輌の牽引など)として電気機関車を保有し続けている例が見られるが、新型機を導入する要素がないため1920年代(大正末期から昭和初期)製のものを使用し続けている例も多く、一般に老朽化が進んでいる。このため、機関車の保有を断念して電車牽引に切り替える事業者も見られる(近江鉄道など)。
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