戦艦大和オープンセット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 04:30 UTC 版)
「男たちの大和/YAMATO」の記事における「戦艦大和オープンセット」の解説
広島県の尾道市向島町の日立造船向島西工場跡地に総工費約6億円をかけ、大和の全長263メートルのうち艦首から艦橋付近までの190メートルが原寸大で再現された。ドック横の資材置き場に、建築現場の足場を組んで基礎として必要な高さを確保し、その上に合板などを使用してロケセットが作られた。主砲の砲身は樹脂製。第一主砲塔の砲身や艦橋上部は省略されている。艦橋は高層建造物となるので、建築基準法の許可が下りなかった。また、第一主砲については、設置場所の関係で主砲の土台を設置するスペースが無く、外観のみの簡略化された形になった。それらの不足部分は、大和ミュージアム(後述)に展示されている1/10模型を合成して撮影された。2005年3月に完成し、撮影は同年6月まで行われた。撮影終了後にロケセットの公開(観光)を目的として、第一主砲から艦首まで増設した。撮影を目的としていないので、造設された部分は簡略化されていた。 5月にロケ現場で記者発表が行われた際、亀田良一尾道市長(以下、役職はすべて当時)と佐藤忠男尾道商工会議所会頭から東映の岡田茂相談役に「ロケセットを観光に使わせて頂きたい」という申し出が快諾され、同年7月17日からロケセットが一般公開された(入場料大人500円、子供300円)。セットの公開以外にスタッフの食堂として使用していた圭ちゃん食堂(そのまま食堂として営業)や小道具、パネル展示、大和オープンセットを使用した場面の映画のメイキングシーンの放映なども同時に行われた。 当初はセットの寿命を考えて2006年3月31日に公開を終了する予定だったが、予想を大幅に上回る入場者数だったため、細かな修復を重ねながら同年5月7日のゴールデンウィーク期間まで公開期間を延長して最終日には100万人を突破し、休業日を除く253日間に100万2343人もの入場者が訪れた。3億円以上の入場収入に加え、そのほかの経済効果は25億円程度とされた。 公開終了後の5月10日より解体が開始された。さらに公開の延長を望む声も多く、公開最終日にはセットを見学するまで3時間もの待ち時間が発生した。しかしながらオープンセットの設置現場は休止中の造船所であり、この造船所の再稼動が迫っていたため閉鎖に至った。 解体後、東映は主砲身や機銃、小道具などセットの一部分計64点を映画公開と同年に呉市にてオープンした大和ミュージアムへ寄贈し、1/10の大和の模型が人気を呼んで映画との相乗効果もあって161万人が入場した。地方の施設であるにもかかわらず、2005年度の美術館・博物館入場者の全国1位となった。大和ミュージアムの別館(立体駐車場の2階店舗スペース)には副砲塔などが展示されていたが、その後に大部分が撤去され、1/35の大和の模型(細部が不正確なモデル)とシールド無し25mm三連装機銃1基のみが残されているだけである。 尾道が撮影地に選定されたのは、日立造船があったこと、交通の便の良さに加え尾道市民の映画に対する理解の深さなどの理由からで、製作的な優位性は他都市を圧倒した。結果的には尾道に大変な経済効果をもたらし、全国のフィルム・コミッションの憧憬の的になった。
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