戦後~現在
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1946年、日本の敗戦によって収容所から解放された人々による日系社会の再建と共に、BCAの復興が図られた。このとき、BCAでは従来の日系人を対象とした布教形態に加えて、日常的に英語を用いた布教が導入されることとなった。実際には、既に大半のメンバーが日系2世、3世であることから、英語を主な言語とすることに抵抗は少なかった。また、開教使や研究者の手で浄土三部経などの経典英訳や親鸞著述の英訳も行われ、非日系のメンバーの理解を助けた。 1960年代にはいわゆる禅ブームが到来し、アメリカ社会の東洋思想に対する関心が高まる。このため、本来は浄土真宗の教義にない座禅を取り入れる寺院や、教義の上でも真宗の阿弥陀一仏信仰をキリスト教の一神教と極端に重ねた教えがなされるなど、布教に苦心する開教使たちの試行錯誤が続けられた。しかし、こうした姿勢は異端であるとして本願寺教団から批判を浴びる結果ともなり、開教に対する本山とBCA、現場の意見の相違が次第に露わになっていった。 現在は、「Shin-Buddhism(Pure Land-)」や「Honpa Hongwanji(本派本願寺)」といった言葉もアメリカ社会に定着し、本山と一定の距離を置いたアメリカ人によるアメリカ人のための浄土真宗が独自に活動をすすめているといえる。後述する宗教教育の推進やターミナルケアなど医療や福祉の現場に積極的に関与するBCAの姿勢は、日本より先行しているといえる。1999年には「北米開教100周年」を迎え、大谷光真門主臨席の下、サンフランシスコで盛大な記念式典が催された。 BCAの寺院の大多数はカリフォルニア州に集中しているが、アメリカ西部を中心に、全米の大都市や日系社会とゆかりのある地域でも地道な布教活動が実を結んでおり、メンバーやアメリカ人僧侶も着実にその数を増やしている。一方で、今もなおBCAは日本の伝統仏教である「浄土真宗」と、アメリカ社会で100年の歩みを刻んだ「Shin-Buddhism」との間(はざま)で、時代に即した教義や寺院のありかたへの模索が続いている。
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戦後・現在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 09:23 UTC 版)
敗戦後、旧日本軍施設は米軍に接収されたのち返還され、法務省、国土交通省、自衛隊などの施設・研究所、文教施設、工業団地などに生まれ変わった。埋め立て地には、3本煙突がランドマークとなっている横須賀火力発電所が立地し、東京湾フェリーの就航によって房総半島への玄関口としての役割も担うようになった。 残っていた田畑は姿を消し、平野だけでなく丘陵部にも宅地開発が進んだ(湘南ハイランドなど)。京浜地域のベッドタウン化が進んだ結果、人口は急激に増加し各種インフラも整えられた。ただ、平成期に入ってからは人口は頭打ちか微減傾向にある。 現在は観光開発も行われており、くりはま花の国やペリー公園には多くの観光客が訪れている。主な地域イベントとして、毎年7月開催の「久里浜ペリー祭」(花火大会・パレードなど)がある。
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