戦後第二世代以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 14:55 UTC 版)
「ポーランドの現代音楽」の記事における「戦後第二世代以降」の解説
戦後第二世代の登場は、ジェネレーション51結成を画期とする。三人ともヘンリク・ミコワイ・グレツキ門下生だった。その中、クシャノフスキは1990年に39歳で早逝した。カジミエシ・シコルスキの息子、トマシュ・シコルスキも世代的には前世代に入るものの、ミニマリズムへ積極的な態度を取った点から第二世代と近接する面がある。彼もまた、アルコール中毒のため49歳で1988年に病没した。リディア・チェリンスカやパヴェル・シマヌスキ(パジェウ・シマンスキ)らもこの世代に該当する。 この世代のうち、最も商業的に成功を収めたのはハンナ・クレンティである。また世代の最後尾にはスイス在住のベッティナ・スクルィチャクがいる。 ポーランドでは1971年生まれに活躍する作曲家が集中しており、ここからの世代を戦後第三世代と定義することが可能である。この世代に該当するパウェウ・ミキエティン、マルセル・フィルチンスキ、アガタ・ズベル、ミコワイ・グレツキ(グレツキの息子)、マチィエ・ズウトフスキ、アレクサンドラ・グリカ、ジャクブ・サルワス、カタルツィナ・クウィエチェン、バルトシュ・コワルスキ=バナシェヴィツ、アダム・ファルキエヴィチュ、アンジェイ・クヴェチンスキ、チェザリ・ドゥフノフスキ、グレゴシュ・ドゥフノフスキ、アンジェイ・クヴェチンスキ、ヤチェク・ヴィクトル・エイチノビチェなどが国際的な認知を受けつつある。アダム・ファルキエヴィチュは2007年に27歳の若さで急逝し、ポーランドの音楽サイトは軒並み一面で彼の死を報じた。 国内の業界のみに固執する者と国際展開のために作曲賞を総なめにする者とで、はっきり作風が分かれている。ドミニック・カルスキはオーストラリアに市民権を移したが、ポーランド音楽情報センターは「ポーランドの作曲家」として名鑑に登録している。
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