戦後直後の展開
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1951年(昭和26年)4月1日:大阪 - 博多間運行の臨時夜行急行列車として3033・3034列車が運行を開始。 1952年(昭和27年)9月1日:3033・3034列車に「げんかい」の名称が与えられ、定期化。 1953年(昭和28年)3月15日:「げんかい」が臨時で東京駅まで延長。 1954年(昭和29年)8月1日:「げんかい」正式に東京 - 博多間運行となり、「高千穂」が連結される。 1956年(昭和31年)3月20日:臨時夜行急行「天草」(あまくさ)が京都 - 熊本間で運行開始。 11月19日:「天草」が定期列車化され、「げんかい」の名称を漢字書きの「玄海」に変更。また、「玄海」の九州側の発着地を長崎本線長崎駅とする。 1957年(昭和32年)10月1日:東京 - 長崎間運行の寝台特急列車「さちかぜ」新設のため、「玄海」の名称を「桜島」(さくらじま)に変更し京都 - 鹿児島間の運行とする。 1958年(昭和33年)10月1日:「桜島」の名称を再び「玄海」に変更し、運転区間を京都 - 博多間に短縮。 1961年(昭和36年)10月1日:サンロクトオのダイヤ改正により、以下の列車の運行開始。大阪 - 熊本間運行の寝台急行列車「ひのくに」が運行開始。 「天草」は筑豊本線経由とし、博多駅を経由しないダイヤを組んだ。 「玄海」発着地を長崎駅に変更。 1963年(昭和38年)10月1日:夜行急行列車「しろやま」を大阪 - 西鹿児島(現・鹿児島中央)間で運行開始。 1964年(昭和39年)10月1日:東海道新幹線開業に伴うダイヤ改正により次のように変更。「ひのくに」「しろやま」が東海道新幹線と接続のため、新大阪発着に変更。 従来東京 - 西鹿児島間運行の不定期急行列車「桜島」(さくらじま)の本州方発着駅を新大阪駅に変更。ただし、繁忙期には東京または品川 - 新大阪間を運行する場合もあった。 1965年(昭和40年)10月1日:ダイヤ改正により次のように変更。昼行の気動車特急列車「かもめ」に西鹿児島発着編成を連結開始。運行区間は京都 - 西鹿児島間であった。 新大阪 - 博多間で寝台急行列車「海星」(かいせい)が運行開始。 新大阪 - 西鹿児島・長崎間で寝台特急列車として「あかつき」の運行を開始。20系客車を使用し、ブルートレインとなった。当初より東海道新幹線との連携を持つ列車であった「あかつき」は使用車両・設定種別ともにこの性格も含めて「関西ブルトレ」のルーツとされた。 「あかつき」新設に伴い「しろやま」は大阪発着に戻される。
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