戦後直後の婦女子がおかれた状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 03:28 UTC 版)
「大山朝常」の記事における「戦後直後の婦女子がおかれた状況」の解説
大山の暮らしていたバラックの隣人の家庭では、夫婦に三歳の子供がいたが、夫に仕事がなく、夫人が米兵相手の売春で生計をたてていた。小学校を卒業したばかりの少年が、いわゆる「ポン引き」をして米兵と交渉し元締めへ連れて行くところも目撃した。また同年代の少女たちは米兵のガールフレンドになることに憧れていたとしている。病弱な夫を抱えた女性教師がコザ十字路で米兵相手の売春をしていたことが発覚し、退職してもらった例もあった。
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