戦後・第6艦隊時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/08 06:19 UTC 版)
「パイパー (潜水艦)」の記事における「戦後・第6艦隊時代」の解説
パイパーは真珠湾を出航し、本国への帰国の途に就いた。10月15日にコネチカット州ニューロンドンのニューロンドン海軍潜水艦基地に到着し、続く5年間、ニューロンドンを拠点として活動した。ナッソー、ニューブランズウィック州、ノバスコシア州を訪問し、ポーツマス海軍造船所およびフィラデルフィア海軍造船所でオーバーホールが行われた。1950年5月2日、パイパーは第6艦隊での任務に向けて地中海へ出航した。任務を終えて帰国すると、特別訓練のためグアンタナモ湾へ6週間の巡航を行う。1951年6月、パイパーはチャールストン海軍造船所でフリート・シュノーケル改修が行われた。続く数年間をニューロンドンを拠点として東海岸沿いおよびカリブ海で活動する。1955年7月にパイパーは2度目の第6艦隊配備のため地中海へ向かう。1956年1月には再びカリブ海で活動し、3月から9月までポーツマス海軍造船所で広範囲オーバーホールが行われた。1957年7月1日、パイパーは大西洋艦隊潜水艦部隊司令官チャールズ・W・ウィルキンズ少将の旗艦となる。ウィルキンズ少将の妻は1944年のパイパー進水時、洗礼を行った。9月にパイパーは北大西洋で行われるNATOの演習に向けて8週間の航海を行う。1958年、パイパーは1年に及んだ潜水艦部隊の旗艦任務をシーウルフ (USS Seawolf, SSN-575) と交代した。1959年11月6日、パイパーはニューロンドンを出航し3ヶ月の第6艦隊配備に向かう。1960年はニューロンドンを拠点として活動し、1961年2月20日にカリブ海での演習に向かう。この演習でパイパーはシュノーケル潜水艦として10,000回目の潜水を達成した。
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