戦後、現在の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/02 16:08 UTC 版)
1946年2月8日にこの街はエンマー川の洪水に見舞われた。所によっては道路から1.8 m もの高さまで冠水した。全域合わせて300棟の家屋が1階は住居不能の状態になった。同じ年に、旧ドイツ東部領土から 336人の難民や放逐された人々がリュクデにやって来た。1951年にリュクデ市は隣接するハルツベルク村とともに行政共同体アムト・リュクデを形成した。アムト・リュクデは、自治体再編に伴って住民の意思により1969年12月31日にヘクスター郡から分離され当時のデトモルト郡に編入された。同時に他の9つの村を合併し、新たなリュクデ市が成立した。第二次世界大戦後、数多くの中小企業、特に電子技術企業がこの街に拠点を構えた。リュクデの重要な雇用主で、ヨーロッパで主要な地位を占めているのがエナメル銅線メーカーである。タバコ工場は1992年に操業を停止した。いくつもの会社が廃業し、リュクデは職場を失った。以前は重要だった木工・家具製造業、食品加工業者のいくつか、多くの建築業者が姿を消した。 旧市街にとって最大の問題はその中を一日 13,000台の乗物が通過し、人や物が危険にさらされていることであった。特にミットレーレ通り沿いの家屋の所有者の多くがその家屋を放棄し、20棟以上が空き家となった。多くの店舗が空になり、人口減少が顕著な状態となった。2005年末に 6,133人だった旧市街の人口は、2008年には 5,884人にまで減少した。何年にもわたる計画や議論の末、1980年代末に市議会と市の行政当局は、こうした危険な開発を停止するためのバイパス道路の建設を決定した。この建設計画の肝は旧市街の景観を守るためのエンマーアウエントンネルである。このバイパス道路の完成は2009年末に計画されていたが、最終的には2010年10月に開通した。 「リュクデの歴史的中核市部再活性化のための統合開発コンセプト」に従って、バイパス道路とともにレジャー施設をもつエンマーアウエが設けられた。旧市街には街を通る道路が新たに建設され、商店は活性化され、古い建築物は近代化された。
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