忘れられた被災地
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忘れられた被災地(わすれられたひさいち)は、一番被害を受けた被災地が注目されていることから、甚大な被害を受けているにもかかわらず注目されていない被災地を表す言葉。
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- 1 忘れられた被災地とは
- 2 忘れられた被災地の概要
- 3 東日本大震災における茨城県
- 4 その他
忘れられた被災地
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「忘れられた被災地」も参照 2011年(平成23年)3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災では、岩手・宮城・福島3県の被害が甚大だったが、茨城県が被った被害も大きく県内多くの地域で最大震度6強の揺れを観測した。さらに午後3時15分には、茨城県沖を震源とするM7.4の地震も発生し(鉾田市で震度6強)、県内の被害が拡大した。この結果、死者・行方不明者は66名、住宅の全半壊・一部破損は20万軒以上に上った。また多くの市町村で、液状化現象も認められた。 県内の太平洋沿岸地域は大きな津波を受け、北茨城市の名勝である五浦六角堂が流されて消失した。東海村の日本原子力発電・東海第二原発も最大5.4メートルの津波に襲われた。しかし、6.1mの新防護壁が辛うじて全電源喪失を防ぎ冷温停止にこぎつけた。 こうした甚大な被害を受けた被災県であるにもかかわらず、神栖市では3月14日に計画停電が実施された。当時の茨城県知事 橋本昌が、首相 及び 東京電力に対して強く抗議を申し入れたことで、翌日から計画停電エリアからはようやく除外されたが、茨城県は被災地として忘れられているのではないか、という想いが県民の間に広がった。このため茨城県は、忘れられた被災地とも言われている。
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