志苔館跡とは? わかりやすく解説

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志苔館跡

名称: 志苔館跡
ふりがな しのりたてあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 北海道
市区町村 函館市志海苔町赤坂町
管理団体 函館市(昭9・1012)
指定年月日 1934.08.09(昭和9.08.09)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日 昭和52.04.27
解説文: 南方海ニ臨メル丘陵上ニアリ略々方形土壘ヲ繞シ西面土壘二重ニシテソノ中央ヲ貫キテ通路ヲ設ケ内壘ノ外方北面ノ壘外ニハ空壕ヲ穿テリシテ北面ノ壕ハ東面ノ溪澤ニ連ル南面懸崖ニ臨ミ頗ル要害ナリ土壘ハ幅五間乃至六間高サ五尺乃至十尺壘内ノ東北隅ニ廢井ヲ存ス近時壘ノ一部破壞セラレタルトコロアルモ尚ヨク舊規ヲ存セリ傳ヘ云フ康正年間小林良景ノ築キシトコロニシテ翌長緑元年蝦夷ノ爲メニ一旦攻メ落サレシガ同年恢復セリ 後永正九年四月良景ノ子良定ノ時再ビ瑕夷ノ来侵ヲ受ケ攻メ落サルルニ及ビ以後廢墟トナレリ
S46-5-127志苔館跡.txt: 志苔館は、小林氏の築くところといわれ、西には旧志苔川を配し、東は溪沢に連なり南方は海に面した丘陵上の館跡である。長禄元年コシャマインのの乱の主戦場として著名で、昭和9年8月史跡指定となったが、腰曲輪、濠、溪沢全体指定地が及ぶようにするものである
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志苔館

(志苔館跡 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/06 03:42 UTC 版)

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志苔館
北海道
志苔館
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 小林氏
主な城主 小林氏
廃城年 1457年長禄元年)か
遺構 曲輪土塁
指定文化財 国の史跡
再建造物 なし
位置 北緯41度45分56.6秒 東経140度49分20.6秒 / 北緯41.765722度 東経140.822389度 / 41.765722; 140.822389
地図
志苔館
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曲輪の遺構
地図

志苔館(しのりたて)は、北海道函館市にあった中世城館(日本の城)。小林氏によって築かれたとされる道南十二館のひとつ。国の史跡に指定されている。

立地

西には旧志苔川があり、東は溪沢に連なっており、南方は海に面した丘陵上に立地する。

現在、北方には函館空港の滑走路が走っている。

城主

出典は道南十二館の謎 p202-203、函館市史通説編第1巻 p335-336、p330-331より。

  • 初代 - 小林太郎左衛門尉良景 - 先祖は万里小路藤房に仕え、祖父の小林次郎重弘の時に蝦夷島(北海道)に渡った。
  • 二代 - 小林弥太郎良定
  • 三代 - 小林三郎右衛門良治

遺跡概要

1983年(昭和58年)から1985年(昭和60年)にかけて函館市教育委員会によって発掘調査が行われた。

館跡は、自然地形を活かし、四方に土塁薬研または箱薬研状の空堀が巡らされ、全体でほぼ長方形の形状を呈している。内部は東西約70-80メートル、南北約50-65メートルで、約4,100平方メートルの広さがあり、曲輪(くるわ)の内部では掘立柱建物跡や井戸が確認されている。土塁の高さは、北側で約4.0-4.5メートル、南側で約1.0-1.5メートルであり、土塁の外側にあたる北側と西側には幅約5-10メートルの空堀が設けられ、最も深い所で約3.5メートルの深さをもつ。

発掘調査では、15世紀前半ごろを主体とする青磁白磁珠洲焼越前焼古瀬戸などの陶磁器が出土している。これらの遺物の年代は『新羅之記録』に記された長禄元年のコシャマインの戦いにおける志苔館陥落の時期(1457年)と矛盾しない。

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(101番)に選定された。

史跡指定

1934年(昭和9年)8月9日、国の史跡に指定された[1]

腰曲輪、濠、溪沢全体に指定地が及ぶようにするため、1977年(昭和52年)4月27日に追加指定がなされている[1]

中国銭の大量出土

1968年、志苔館の南西方向100メートル地点から、埋納されたと推定される越前焼珠洲焼の大甕3個の中より計38万7,514枚[注釈 1]におよぶ、主として中国の銅銭が出土している。これは日本国内で1か所から発見された古銭としては最大級の量である。「北海道志海苔中世遺構出土銭」として国の重要文化財(考古資料)に指定され[2]市立函館博物館に所蔵されている。

年表

  • 1457年長禄元年)のコシャマインの戦いにて陥落
  • 1934年昭和9年)8月9日 - 国の史跡に指定
  • 1968年(昭和43年) - 中国銭が大量に出土する
  • 1977年(昭和52年)4月27日 - 国の史跡の範囲拡大
  • 1983年から1985年 - 函館市教育委員会によって発掘調査
  • 2017年平成29年)4月6日 - 続日本100名城(101番)に選定された

支館 

2館あり、狼煙場として、函館西部地区の箱館(宇須岸館)を向いていたと推定されている。[3]

  • 与倉前館 - 根崎町の根崎保育園付近にあった。塁跡遺構があったとされる。
  • 弥右衛門川館 - 高松町。痕跡はない。東西16m、南北15m。

所在地

  • 函館市志海苔町・赤坂町

交通手段

  • 函館バス下海岸線(91・91A・91C系統)[4]「志海苔」停留所下車。(徒歩約5分)

「湯倉神社前」停留所までは、函館市電湯の川線(湯の川停留場乗継)も利用可能。

脚注

注釈

  1. ^ 古銭の枚数について、文化庁の「国指定文化財等データベース」には「374,435枚」とある[2]が、「387,514枚」が正確な枚数。平成24年9月6日文部科学省告示第138号で数値が変更されている。

出典

  1. ^ a b 志苔館跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  2. ^ a b 北海道志海苔中世遺構出土銭 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  3. ^ 道南十二館の謎 p202
  4. ^ 函館バス時刻表2022年4月 函館バス 2022年 p155

参考文献

関連項目

外部リンク



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