幼少での即位、相次ぐ摂政の死と誘拐とは? わかりやすく解説

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幼少での即位、相次ぐ摂政の死と誘拐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 04:44 UTC 版)

ジェームズ1世 (イングランド王)」の記事における「幼少での即位、相次ぐ摂政の死と誘拐」の解説

1567年2月10日ジェームズ1歳誕生日迎え以前に、父ダーンリー卿は不審な死を遂げ、母メアリーとは引き離された。母は父の殺害事件首謀者疑われた第4代ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーン同年5月15日再々婚したことでスコットランド貴族怒りを買い、7月24日に母は廃位されボスウェル伯亡命ジェームズ5日後の7月29日1歳1か月スコットランド王位に就いたメアリーは翌1568年再起図った失敗しイングランドへ亡命以後1587年処刑されるまでジェームズ6世と会うことはなかった。即位後、メアリー側の勢力ジェームズ6世擁した勢力との間で、内戦5年ほどの間続いた(メアリアン内戦英語版))。この内戦は1573年イングランドスコットランドへ援軍派遣して介入メアリー派が籠城するエディンバラ城ジェームズ6世派が落とし残党処刑することによって終息した。 ジェームズ6世の即位しばらくの間摂政置かれ17歳になるまで実質的な政務執ることはなかった。最初摂政メアリー庶出の兄で王の母方の伯父に当たる初代マリ伯爵ジェームズ・ステュアートであったが、1570年メアリー支持者によって暗殺された。次いで、ダーンリー卿の父で王の父方祖父に当たるレノックス伯(英語版マシュー・ステュアート摂政となったが、この祖父1571年国内紛争殺害された。マリ伯母方伯父3人目摂政となったマー伯爵ジョン・アースキン1572年死去し、王の祖母マーガレット・ダグラス従弟に当たるモートン伯爵ジェイムズ・ダグラス最後に摂政となった1570年マリ伯暗殺された後頃から、ジェームズ6世家庭教師としてジョージ・ブキャナン(英語版)とピーター・ヤング英語版)がついている政治携わり1578年頃までジェームズ6世のもとにいたと言われるブキャナンは、ヨーロッパで広まっていた王権神授説でなく、国王人民から選ばれ存在みなして人民王権由来とする考えに基づく制限され世俗的王権論を教えようとしたとも言われている。ジェームズ6世ブキャナンから語学天文学数学歴史修辞学などを、ヤングからは歴史神話地理医学などを教わりギリシャ・ローマ学問重視した人文主義的教育受けて語学堪能博学を誇る君主へと成長した。ただしブキャナン対す感情は複雑で、英才教育感謝しながらも短気教育厳しい上、よく体罰与えることもあり母を憎むあまり罪を吹き込むブキャナン恐れていた(思想世俗的王権ではなく王権神授説支持)。一方自分同情的で優しいヤングの方は気に入り、後に結婚のためデンマーク派遣する使者選んでいる。 1579年ジェームズ6世成人統治者となったことを祝う式典が行われた。この時以降主な居所それまでスターリング城からエディンバラ城に移すようになった同年13歳ジェームズ6世フランス帰りのオウビーニュイ卿エズメ・ステュアート父方従叔父に当たり、後にレノックス公爵叙爵)に魅了され、彼を寵愛した(ジェームズ6世男色家=ホモセクシュアル知られている)。邪魔になったモートン伯は、レノックス公謀略でダーンリー卿殺害関与したとして1581年1月処刑されたが、ジェームズ6世寵臣政治スコットランド貴族達の反発招き、翌1582年8月初代ガウリ伯ウィリアム・リヴァン(英語版)の計略によりジェームズ6世誘拐、リヴァン城(英語版)に軟禁された(リヴァンの襲撃英語版))。レノックス公逮捕され12月フランスへ逃亡したガウリ伯はプロテスタント貴族で、ジェームズ6世対すフランスカトリック影響、母のイングランドからの帰還妨げようとしたらしい

※この「幼少での即位、相次ぐ摂政の死と誘拐」の解説は、「ジェームズ1世 (イングランド王)」の解説の一部です。
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