幼少から柔道時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 04:55 UTC 版)
五人兄弟の末っ子として樺太で生まれる。1947年(昭和22年)に福島県勿来に移住し、中学2年生から柔道を始めた。福島県立磐城高等学校に進学するが、家庭の事情で東京に引っ越す事になり、高校1年生の2学期から錦城高校に転校し、柔道を続けた。高校での練習の他に講道館にも稽古へ通っていた。卒業後は共同通信社に入社し、勤務時間外は講道館や三鷹警察署で柔道を続け、大成高校でも1年間の条件付きでコーチを引き受けるなど仕事と柔道両方に勤しみ励んだ。 190センチメートル近くの外国人と乱取りをやっていた時に、左肩も脱臼してしまう。手術をした医師から「パワーが主流になっていく柔道界で、膝と肩を痛めている状態で、柔道を続けていく事は難しい」と宣告された。海外で柔道を普及させようというオファーもあった矢先の事で絶望感は大きく、柔道を止めることとなる。
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