幼少から少年時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:00 UTC 版)
1963年7月27日、中国広東省広州市に生まれ、2歳の時に香港に渡り、11歳の時にアメリカのボストンに移住した。母は「傅式太極拳」直系の弟子で、「中華武術研究所(Chinese Wushu Research Institute)」「麥寶嬋太極協會(Bow Sim Mark Tai Chi Arts Association)」創始者として知られる著名武術家・麦宝嬋(マク・ボウシム)、父は香港の新聞社・星島日報ボストン支局の編集員であった甄雲龍(クライスラー・イェン)。幼少の頃より父にピアノを、9歳からは母に武術を学んだ。 ボストン、チャイナタウンの映画館で功夫映画を観てはその動きをすぐに真似する子供で、特にブルース・リーをアイドル視していた。彼と同じ黒い中華服を着て自作のヌンチャクを持って学校に通った。 やがて多忙で不在がちな両親を尻目に不良少年となってしまい喧嘩三昧の日々を送っていたのを両親に心配され、16歳の時にアメリカを離れて北京市業余体育学校(現:北京市什刹海体育運動学校)で2年近く武術を学ぶことになる。この時の師兄(師匠が同じで入門の早い先輩)には同い年のジェット・リーがいたが、1980年5月に『少林寺』の撮影に入っていたジェットとは、ほとんど顔を合わせることはなかったという。 修学後、ボストンへ帰る途中で立ち寄った香港で映画監督の袁和平(ユエン・ウーピン)に紹介されスクリーンテストを受けている。帰国後は武術大会で優勝を獲得、武術雑誌“INSIDE KUNG-FU”にて、1982年度最優秀武術家(Martial Artist of the year)に選ばれるなどした。
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