師兄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 00:20 UTC 版)
京都出身。先祖は若狭国小浜出身で、生家は醸造業を営んでいたが、在中が絵師となったことで、原家は絵を家業とするようになった。師は石田幽汀、あるいは円山応挙とも、両者を折衷して初め幽汀に学び、一時兄弟子の応挙についたとする説もある。『古画備考』によると、応挙没後、在中は自分は応挙の弟子ではないとし、これに腹をたてた岸駒が応挙の子・円山応瑞のところに行って門人帳を調べると、在中の自筆で入門と名簿に書いてあったという。実際、大乗寺に残る円山派の門人名簿には、「原在中」や「岸駒」の名が記されている。 反面、在中の画風に応挙の影響は強くは認められず、応挙一門が総力をあげた2度にわたる大乗寺障壁画制作にも在中は参加していない。今日にも多くの大作を残す在中が応挙の弟子ならば、当然師弟関係を示す資料がもっと多く見出せるはずで、応挙十哲の一人にも数えられたであろうことを踏まえると、どちらとも断じ難い。また、仏画を山本探淵に学んだという。
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