巨人の猛追と最終盤のデッドヒート
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「メークドラマ」の記事における「巨人の猛追と最終盤のデッドヒート」の解説
その後再び6ゲームまで差は広がったが、巨人は9月11日の対中日戦から怒涛の連勝をスタート。猛烈な追い上げで阪神との差を瞬く間に縮める。3ゲーム差で迎えた9月19日からの直接対決3連戦もその勢いは止まらず、3連戦合計でアレックス・ラミレスが1本塁打5打点、阿部、小笠原、李承燁がともに2本塁打4打点と打線が爆発。阪神の先発投手を3人とも5回もたずに引きずり下ろして、連勝を10まで伸ばし、直接対決3試合目の9月21日についに同率首位に追い付く。その後の3試合を両者がともに勝ち→引き分け→勝ち、と全く同じ勝敗で同率のまま一歩も譲らず、巨人は引き分けを挟んで12連勝まで伸ばす。9月25日に巨人の連勝が止まって再び阪神が単独首位に立つと、その後は両チームとも抜け出せないまま一進一退のせめぎ合いが続き、巨人は単独首位に立つことができないまま140試合を消化。一方、追いつかれても追い抜かれはせず、最終盤でも優位を保っていた阪神も140試合目の10月6日対ヤクルト戦に敗れたことで、両者が81勝56敗3分の同率首位で並んだ状態で141試合目の10月8日の最終直接対決(東京ドーム) を迎える。試合は4回に李の2点適時打で先制した巨人が先発内海哲也ー山口ー豊田ークルーンの継投で阪神を押し出し四球の1点に抑えて逃げ切り、対阪神戦7連勝。ついに阪神を抜いてシーズン初の単独首位に立ち、巨人に優勝マジック2が点灯した(敗れた阪神は、シーズン初の2位転落)。 その後、10月10日の対ヤクルト戦(明治神宮野球場)に勝利、阪神は同日の対横浜戦(横浜スタジアム)に敗れたため、巨人の2年連続32回目のリーグ優勝が決定した(この時の残り試合数は巨人:1、阪神:2)。最大13ゲーム差からの逆転は1996年を上回ったため、マスコミは「メークドラマ」を超える「メークレジェンド(伝説を作る)」「レジェンド完結」と呼んだ。元々はボビー・バレンタインの発言が発祥で、原は「メークレジェンド」という言葉は使わなかった。そのため、一部報道機関ではメークドラマの再現ということで「リメークドラマ」(後述も参照)などとも報道され、優勝決定後も統一されなかったが、原は優勝会見で「…歴史をつくり、伝説をつくり…」と発言した。また、インターネット上では同年8月2日に日刊スポーツ出版社から発売された雑誌のサブタイトルから、「Vやねん!」のスラングで呼ばれることもある。 ひっくり返した13ゲーム差はセ・リーグ新記録で、プロ野球全体では1963年の西鉄に次ぐ2番目だった。 シーズン後、巨人に逆転優勝を許す「歴史的V逸」を喫した阪神監督・岡田彰布は責任を取って、球団や周囲の慰留を振り切り辞任した(後任は真弓明信)。また、金本は1996年に最大11.5ゲーム差を返されたメークドラマを広島選手として、2008年に最大13ゲーム差を返されたメークレジェンドを阪神選手として双方を体験した唯一の選手である。またこの年の阪神は7度優勝マジックを点灯し、その全てが消滅したが、これは2リーグ制以後最多であり、従来の最多記録である3度を大きく更新した。 メークレジェンドはこの年の流行語大賞の候補にノミネートされたが、メークドラマに続いての大賞受賞には至らなかった。
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