島津忠興 (薩州家)とは? わかりやすく解説

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島津忠興 (薩州家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/07 14:00 UTC 版)

 
島津忠興
時代 戦国時代
生誕 文明18年(1486年
死没 大永5年10月9日1525年11月4日[1]
別名 通称:又太郎、三郎太郎、八郎左衛門尉、薩摩守
氏族 島津薩州家
父母 父:島津成久
兄弟 忠興、興久
島津勝久正室、実久禰寝清年室、忠辰、
忠兼種子島恵時室、新納忠茂室、他3女
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島津 忠興(しまづ ただおき)は、戦国時代武将薩摩国島津氏の分家・薩州家4代当主。

文明18年(1486年)、薩州家3代当主・島津成久(重久とも)の子として誕生。

明応9年(1500年)、薩州島津家に内乱が起き、敵対する島津忠福(大田氏祖・島津延久の次男または羽州家・島津有久の子か)の拠る加世田城を攻め、忠福に加勢した伊作久逸島津忠良の祖父)を討ち取った。

脚注

  1. ^ 「種子島家譜」(『鹿児島県史料』「旧記雑録拾遺家分け3」所収)参照。なお、『鹿児島県史 別巻』(鹿児島県 1943年)では10月5日としている。



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