種子島恵時とは? わかりやすく解説

種子島恵時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/09 14:15 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search
 
種子島恵時
時代 戦国時代
生誕 文亀3年(1503年
死没 永禄10年3月14日1567年4月23日
諡号 意釣
戒名 蓮住院日善大居士
官位 加賀守、左兵衛尉
氏族 種子島氏
父母 父:種子島忠時、母:蒲生宣清の女
兄弟 恵時、蒲生茂清、時述、時立、時是、時貞
島津忠興の女
時尭、時式、日法

種子島 恵時(たねがしま しげとき)は、戦国時代武将種子島氏第13代当主。

生涯

文亀3年(1503年)、第12代当主・忠時の子として生まれる。

恵時が家督を継承する頃、薩摩国島津勝久とその養子である島津貴久との間で分裂しており、この抗争で恵時は貴久方に加勢し、天文7年(1538年)の加世田城攻めや天文8年(1539年)の市来城攻めなどで武功を大いに挙げている。しかし、南北朝時代より種子島の実権をめぐって争っていた禰寝氏との対立がこの頃激化。弟である種子島時述との対立を禰寝氏に付け込まれ禰寝清年(もしくは禰寝重長)との戦いに敗れ、一時的に屋久島に逃れることになった。この争いは天文13年(1543年)に恵時が禰寝氏を攻め種子島・屋久島から駆逐することで一時的に決着をみた。

これと前後して天文13年(1543年)に鉄砲種子島に伝来。『鉄炮記』などこの事項を示す文書には主に子の時尭が登場していることから、この前後に時尭に家督を譲っていたと考えられている。

永禄10年(1567年)3月14日に死去。享年65。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「種子島恵時」の関連用語

種子島恵時のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



種子島恵時のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの種子島恵時 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS