峡谷地形の「切開」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 00:06 UTC 版)
岩屋寺の切開 松江市 岩屋寺の切開の位置 岩屋寺の切開のある岩屋寺は、島根県南東部の奥出雲町にある岩屋寺山(標高607メートル)南側斜面の標高約500メートルほどの山腹に所在する。 岩屋寺の切開は、国の天然記念物に指定された時期として比較的初期の1932年(昭和7年)7月25日に指定されており、そのため国土地理院の発行する2万5千分1地形図や市販の地図等には、古くからその名称と位置が記載されているものの、天然記念物の所有者および管理者が、県や地元自治体ではなく、長期間にわたり無人状態となっている廃寺の岩屋寺であるため、案内看板やアクセス道路等が整備されておらず、辿り着くのが困難な場所にあって、実際に現地を訪れ切開を見た人は少ないという。 天然記念物に指定される以前の1919年(大正8年)に発刊された地誌である『仁多郡誌』や、天然記念物に指定されてから35年も経過した1968年(昭和43年)に、当時の横田町が作成した『横田町誌』のいずれにも「岩屋寺の切開」に関する記載はなく、これらのことは当該天然記念物が地元の関心を引く対象ではないことを示しており、それに加え、あまり聞きなれない「切開(きりあけ)」という字面からは具体的な対象物が想像し難いこともあって、一般的にはあまり知られていない国の天然記念物である。 JR木次線出雲横田駅のある旧横田町中心市街地から、約1キロほど東北東の馬場地区に京都石清水八幡宮の別宮である横田八幡宮があり、ここから斐伊川上流に注ぐ伊勢谷と呼ばれる小さな沢に沿って岩屋寺の参道が続いている。この伊勢谷に沿った参道を登り切った最奥に廃寺となった岩屋寺があり、岩屋寺本堂(根本堂)の東隣にある弘法大師大師堂護摩堂の建物を右手側(東側)から100メートルほど山側へ回り込んだ、標高500メートル強のところに、国の天然記念物に指定された岩屋寺の切開がある。 岩屋寺の切開(以下、切開と記述する)は、切り立った岸壁に挟まれた狭くて深い、極めて小規模な峡谷地形であり、岸壁の高さは5メートルから10メートル、峡谷の長さは75メートル(水平距離68メートル)、谷幅はわずか3メートルである。谷底の勾配はかなり傾斜しており、入り口付近は7度、中間地点は20度、後半付近は27度と、上流に向かって徐々に急勾配になっている。峡谷の終点は3方向からの谷が合流する変則十字谷になっており、これら3方向からの50度から60度の勾配の急斜面に閉ざされるような形で峡谷地形は突然おわる。前述したように山頂部分水嶺から至近距離にあるため、谷底に表流水はほとんど流れておらず、角礫はあるものの円磨された水磨礫はない。 岩屋寺山周辺一帯の地質は古第三紀の粗粒の黒雲母花崗岩で、地表面に近い部分は中国地方によくみられる真砂土状になった風化が進んでおり、岩屋寺の境内各所にはトア状の巨岩が露出し、谷状の地形の底部各所にはコアストーンと呼ばれる未風化の花崗岩の巨礫が点在している。 切開のある岩屋寺山山体の地形は、北西方向から南東方向(以下、NW性と記述する)へ直線状を成す谷地形が多く、切開のある場所も伊勢谷の最上流部のNW性の谷筋に該当する。この直線状の谷地形は山頂を超えた北西側の山腹まで続いている。切開はこのNW性の谷筋の一部を構成する直線状の峡谷地形であるが、NW性谷の底部を更に溝状に深く削り込んで出来ており、より正確に言えば「谷底の中に新たにできた峡谷」、地形用語で言う谷中谷(こくちゅうこく)である。
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