山上から参道とは? わかりやすく解説

山上から参道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 22:00 UTC 版)

石清水八幡宮」の記事における「山上から参道」の解説

供御所 - 慶長2年1597年再建社務所 書院 書院石庭 - 1952年昭和27年)に重森三玲によって作庭された。石灯籠重要文化財御羽車舎 - 羽車2基が納められている。もとは慶長年間1596年 - 1615年)に淀殿によって再建され経蔵である。 御鳳輦舎 - 鳳輦が3基納められている。 一ツ石 - 勝負石、百度石とも呼ばれる。かつて南総門の下には「五ツ石」があり、一ツ石走馬競馬出発点とされ、五ツ石はその終点とされた。 庭園峯寮の庭」 - 1966年昭和41年)に重森三玲によって作庭された。1961年昭和36年9月16日第二室戸台風倒壊した三の鳥居石材用いられている。 参道 - 約100m参道に約400基の石灯籠が並ぶ。 神馬舎 - 1959年昭和34年再建青少年文化体育研修センター 大塔跡 - 真言宗大塔形式建てられていた大塔は、慶長10年1603年)に豊臣秀頼によって再建されたが、明治時代になって解体された。その大きさ根来寺大塔とほぼ同じくらいのものであった供御八角堂阿弥陀堂)跡 - 阿弥陀堂慶長12年1605年)に豊臣秀頼によって再建されたが老朽化し元禄11年1698年)に再建された。享保年間1716年 - 1736年)には正方形阿弥陀堂四隅切って八角堂改修されている。1870年明治3年)に正法寺飛び地境内であった西車塚古墳後円部上に移築された。現在は八角堂と西車塚古墳八幡市所有となっている。 涌峯塔 - 給水塔兼ねている茶室峯庵」 雄徳山茶園おとこやまちゃえんエジソン記念碑 - 1934年昭和9年)に建立され1958年昭和33年)に現在地移され1984年昭和59年)に建て替えられた。 青少年文化体育センター体育館峯館」 池 地蔵堂 京阪電車鋼索線ケーブル八幡宮山上駅 十三重石塔 - 展望台建てられている。 男山四十八坊の坊社跡の石垣 宝塔院宝塔(琴塔)跡 - 天台宗大塔形式建てられていた宝塔は、慶長11年1604年)に豊臣秀頼によって再建されたが、明治時代になって解体された。その後基壇中央削って参道作られたが、現在も礎石残っている。 伊勢神宮遥拝所 石清水井 - 石清水社の横にある。男山名水一つ。この地に護国寺前身である石清水寺が建てられていた。井戸の上には神水舎(京都府指定有形文化財)が建てられている。明神鳥居京都府指定有形文化財)は寛永13年1636年)に京都所司代板倉重宗による寄進境内に完全な形で残る鳥居としては最古のものである松花堂跡(国指定史跡) - 草庵松花堂」は、寛永14年1637年12月昭乗(後の松花堂昭乗)によって泉坊の一角建てられ草庵である。明治時代になり、草庵松花堂と書院は男山南方移築された。現在そこは「松花堂庭園美術館となっている。

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