少年時代から代用教員時代までとは? わかりやすく解説

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少年時代から代用教員時代まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 02:57 UTC 版)

棚橋小虎」の記事における「少年時代から代用教員時代まで」の解説

1889年1月14日長野県東筑摩郡松本町(現・松本市)に、旧松本藩士で小学校教員の父・棚橋宣章と母・さゑ(旧松本藩士・関口友忠の娘)の四男として生まれた名付け親は『信濃の国』の作詞者で、同じく松本藩士の浅井洌で、「風を切って千里を走る大虎生るる時は小虎なりけり」という歌を添えて命名した1899年3月東筑摩郡本城村(現・筑北村尋常小学校卒業した後、4月坂北村(同)と本城村との組合立高等小学校入学したが、一家松本移住伴って7月松本町立松尋常高等小学校男子部開智学校高等科1年入学した1901年母方従兄薦めにより松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)の入学試験受験し合格者中第4位の成績及第した松本中学校在学中学生団体であった会と自治団体であった尚志社に入り活動した1904年棚橋松本中学校4年進級したが、2月から続いていた日露戦争刺激されて、海軍兵学校への入学決意した。この決意背景には、父である宣章がつくった借金により学費納入滞ることが多々あったことから、学費かからない海軍兵学校選択したということがあった。 松本中学校時代における棚橋小虎中列左から2人目が棚橋。 しかし、10月入って左足激痛感じ診断結果左脚骨髄炎発病していた。当初進級単位問題地元医師からリウマチ診断されていたこともあってしばらくはそのままでいたが、病状への不安から1905年4月松本中学校一時退学をして、5月から9月にかけて東京大学医学部附属病院3度に亘り手術受けた12月帰郷、翌1906年1月から復学して、3月松本中学校卒業した。この卒業に際して通常一年三分の一以上欠席であった生徒卒業できないこととなっていたが、棚橋校長小林有也直談判行い小林棚橋卒業させる気であることを直感的に受け取った松本中学校卒業後、一旦銀行就職したが2ヶ月退職し9月に左脚骨髄炎治癒のために再度上京したが、東大病院医師内臓の不調可能性言われ内科診療受けたところ左肺カタル診断された。こうした健康不安もあって急に宗教関心持ち松本メソジスト教会に通うようになった1907年洗礼受けたが、深く感銘受けていた牧師橋本睦之と伝道師平林広人松本メソジスト教会離任することとなったことから、以後距離をおくようになった2月に入ると東筑摩郡和田尋常高等小学校校長であった岡村千馬太から和田小学校代用教員誘いがきた。当初棚橋は健康不安に加えて中等教員検定試験受験企図していたことからその誘い留保していたものの、検定試験及第までの生活費書籍代への不安から、9月和田村へ赴き代用教員となった。尚、この代用教員時代教え子たちによって、後年「保進会」という同窓会組織されている。 健康不安は続いていたものの、1909年に入ると左脚骨髄炎病源大部分であるとされた足の骨片を除去することができた関係で、やや回復向かい、それにつれて官吏志し帝大法科への進学考えようになった帝大への進学に向け、まず翌年7月行われる高等学校入学試験受験することとした。当初第一高等学校への進学考えていたが、合格に不安があったことに加え関西の生活に好奇心抱いていたこと、尚志社の後輩である細田四郎京都府医学専門学校在学中の関係があり好都合であったことから第三高等学校選択することとした。受験準備の間、父・宣章の死に直面したが、1910年7月第三高等学校受験し合格果たした棚橋は、合格報せ接するまでの間、左脚骨髄炎再発して東大病院再度手術を受けることとなった。一旦退院できたものの、9月入浴時に傷口から丹毒感染し入院することとなった。しかし、すぐに退院して10月松本離れ京都へと向かうこととなった

※この「少年時代から代用教員時代まで」の解説は、「棚橋小虎」の解説の一部です。
「少年時代から代用教員時代まで」を含む「棚橋小虎」の記事については、「棚橋小虎」の概要を参照ください。

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