少年時代からウィーン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 23:43 UTC 版)
「ヘルマン・シュレーゲル」の記事における「少年時代からウィーン時代」の解説
シュレーゲルはドイツのライプツィヒの45kmほど南にあるテューリンゲン州アルテンブルクで、真鍮鋳造業の父ヨハン(Johann David Schlegel)と母ヨハンナ(Johanna Rosina Seiler)との間に生まれた。 彼の父は蝶類の収集家であったため、それが刺激となって彼もまた博物学に興味を抱くようになっていった。あるとき偶然にノスリ類の巣を見つけたことで鳥類の勉強を始めた彼は、同じドイツの鳥類学者であるC.ブレーム(Christian Ludwig Brehm 1787 - 1864)に出会う。この人は著名な動物学者アルフレート・ブレーム(1829 - 1884)の父にあたる人で、シュレーゲルは彼を通して多くの博物学者らと知り合う機会を得ることとなる。 やがてシュレーゲルは父の仕事を手伝うようになったが、それにはすぐに興味を失ってしまい、1822年、彼は生家を出てドレスデンに行く。彼はそこで見た自然史博物館の美しさに魅了されたという。ここで2年間を過ごした後の1824年、オーストリアのウィーンに行きレオポルト・フィッツィンガー(1802 - 1884)やヨハン・ヤーコプ・ヘッケル(Johann Jacob Heckel(1790 - 1857))らの大学での講義の手伝いなどをしていたが、その後ブレームがヨーゼフ・ナッテラー(Joseph Natterer。ブラジル探険などで有名なナチュラリストのヨハン・ナッテラーの兄)に紹介状を書いてくれたため、ウィーン自然史博物館に就職することができた。
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