少年時代 - 世界選手権制覇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 18:04 UTC 版)
「アントン・ヘーシンク」の記事における「少年時代 - 世界選手権制覇」の解説
ユトレヒトの貧しい家庭で育ち、12歳のときから建設現場で働いていた。14歳より柔道を始め、ユトレヒト市内の中等学校を卒業した後、1955年、オランダ柔道チームの指導を始めた道上伯に見初められ 徹底的な個人指導を受けた他、日本でも講道館や天理大学で松本安市らの指導を受け、選手としての才能を開花させた。この後引退するまで、毎年2ヶ月ほど日本に滞在しトレーニングに励んでいた。 1956年に東京都で開かれた第1回世界柔道選手権大会では、準決勝で吉松義彦に内股で一本負けを喫して3位、2年後1958年の第2回大会では準々決勝で山舗公義に内股返で一本負けしベスト8に終わったが、1961年の第3回大会では準決勝で古賀武、決勝では前大会覇者の曽根康治を袈裟固で破り、外国人選手では初 となる優勝を果たした。この時、オランダに凱旋帰国したヘーシンクを30万人の人々が迎えたという。 道上は当時のヘーシンクについて「指導には何でも従う、素晴らしく素直な選手だった。酒もタバコも慎み、休日は自然と触れ合いながら体力作りに専念するなど、感心するところは枚挙に暇がない」と評していた。また「出会った当時の彼は、198 cmという身長に似合わない弱気な劣等感の塊だったが、第1回世界選手権と東京での武者修行の後に帰国した彼は見違えるほどの自信に満ち溢れ、まるで選手権者のような貫禄を有していた」と、柔道を通しての人間性の劇的な変化に驚嘆したとも語っている。 トレーニングにおいては、当時としては先鋭的だった筋力トレーニングを体力作りに用い、また柔道だけでなく様々なスポーツを取り入れていた。この時期に出場したレスリングのオランダ全国大会ではグレコローマンスタイルで優勝し、レスリング世界選手権でも6位という成績を残している。更に1960年のローマオリンピックのレスリングに出場しようとしていたが、プロ選手と判断され[なぜ?]出場は叶わなかった。
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