小松天満宮
名称: | 小松天満宮 |
ふりがな: | こまつてんまんぐう |
名称(棟): | 本殿、石の間、幣殿及び拝殿 |
名称(ふりがな): | ほんでん、いしのま、へいでんおよびはいでん |
番号: | 1513 |
種別1: | 近世以前/神社 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1961.06.07(昭和36.06.07) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 石川県 |
都道府県: | 石川県小松市天神町2 |
所有者名: | 小松天満宮 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 本殿 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、銅板葺 石の間 桁行二間、梁間三間、一重、両下造、銅板葺 幣殿 桁行二間、梁間三間、一重、後面切妻造、前面拝殿に接続、銅板葺 拝殿 桁行七間、梁間二間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝三間、 軒唐破風付、銅板葺 |
時代区分: | 江戸前期 |
年代: | 明暦3(1657) |
解説文: | 明暦三年(一六五七)に北野天満宮を分祀したところで、大工は同じく山上善右衛門である。北野天満宮と同じく複雑な社殿である。 |
小松天満宮
小松天満宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/01 02:04 UTC 版)
小松天満宮 | |
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![]() 小松天満宮 拝殿 |
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所在地 | 石川県小松市天神町1 |
位置 | 北緯36度24分57秒 東経136度26分55秒 / 北緯36.41583度 東経136.44861度座標: 北緯36度24分57秒 東経136度26分55秒 / 北緯36.41583度 東経136.44861度 |
主祭神 | 菅原道真 前田利常 白太夫神 応神天皇 |
創建 | 1657年(明暦3年) |
本殿の様式 | 唐様建築 |
別名 | 梅林院 |
地図 |
小松天満宮(こまつてんまんぐう)は、石川県小松市天神町に所在する神社[1]。前田家ゆかりの創建当初からの社殿等は重要文化財や石川県指定有形文化財に指定されている[2][3]。
概要
創建は1657年(明暦3年)。加賀藩二代目当主の前田利常公が小松城に穩居にされる際、城北にあたるこの地に前田家の氏神としてお祭りする菅原道真公を鎭祭したのが小松天満宮のはじまりである[1]。
小松天満宮は、守山城、金沢城、妙立寺(忍者寺)、小松天満宮、小松城はこの鬼門線上にあり小松天満宮は加賀藩にとって重要な守護神であった[1]。
「おくのほそ道」などの俳諧で有名な松尾芭蕉が小松天満宮に巡行した際に“あかあかと日はつれなくも秋の風”の句碑が残っている[1]。
文化財
小松天満宮(別名梅林院)は前田家の祖菅原道真公を祭る北野天満宮を4分の1に縮尺して建てられた[4]。当社はその創建の由来からみても前田家代々の尊崇が篤く、祭神が文学の神と仰がれたことと、神仏習合であった江戸時代の初代別当が近世を通じて連歌の第一人者であったこともあって、絵画、書蹟、文書、典籍寺貴重なものが多く宝物殿に保管してある[5]。
重要文化財
- 本殿
- 石の間
- 幣殿及び拝殿
- 神門
脚注
関連項目
外部リンク
- 小松天満宮 - 小松市役所
- 小松天満宮 - 石川県神社庁
- 小松天満宮のページへのリンク