将棋における上座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 05:38 UTC 版)
将棋棋士・女流棋士が公式戦を戦う際は、上位者が上座(床の間を背にした席)に座る。他に、上位者が(1)「王将」を持つ、(2)先手・後手を決める振駒で基準となる、(3)対局前と対局後に駒の出し入れを行う、などがある。 2019年現在、日本将棋連盟公式サイトで「棋士序列」「女流棋士序列」がそれぞれ明示されており、それによって上位者・下位者が決まる。また、連盟事務局員が対局場所を示すホワイトボードに各棋士・女流棋士のネームプレートを貼る際に、東京・将棋会館での対局ではネームプレート右側を上位者、関西将棋会館での対局では左側を上位者とする。 しかし、上記はあくまでも慣例であって、日本将棋連盟の規定ではないため、若い棋士がタイトルを獲って急に序列が上がった場合などに「上座の譲り合い」が起きることが珍しくない。佐藤康光は24歳で竜王位(格式としては名人位と並び最高位)を獲得した時期、大ベテランを相手に上座に座るのも気は引けるとして対局開始直前まで対局室に入らず、(相手に先に座らせておいて)「空いてる方に座る」としていたと語っている。 棋士が先に上座に座っていたことで物議をかもした例として以下のものがある。 谷川浩司が初めて名人在位していた1984年の第23期十段戦挑戦者決定リーグで、対戦相手の加藤一二三前名人が先に入室して上座に座っていた。谷川は頭に血が上ったが、手洗いに行って頭を冷やした後、黙って下座に就き、さらに対局開始から初手を指すまで10分を使って冷静さを取り戻した結果、勝利を収めた。そして後日、『将棋世界』誌(日本将棋連盟)の自戦記及び、自著『中学生棋士』で遠回しに非難した。一方で、加藤一二三は上座に座った理由として「読売新聞社主催の十段戦の対局ということを重視し、私はこれまで十段のタイトルを保持していた等の過去から十段戦に縁が深く、現在谷川さんよりもリーグの順位が上だったことを考慮した」と述べている。 1993年度の第52期A級順位戦では四冠(王位・王座・棋王・棋聖)ながらA級9位の羽生善治は、八戦目でA級1位の中原誠前名人(永久名人資格保有者)、九戦目でA級4位の谷川浩司王将、プレーオフでもA級4位の谷川浩司王将の対局時は、先に上座に座った。このことは「羽生善治3連続上座事件」と呼ばれ、物議をかもした。特に永久名人資格保有者である中原誠前名人については、「前名人・前竜王の位置付けについて」という1993年6月10日の理事会決定事事項で規定された「名人あるいは竜王保持者が失冠し「前」の肩書となった場合の位置付けは、現タイトル保持者の次とする。ただし、永世(名人・十段・王将・棋聖)の有資格者は、名人・竜王の次とする」とする棋士序列に反するものであった。ただし、この理事会決定事項は対外的に広く広報されていたわけではなく、羽生自身も知らなかったと述べている。後に羽生は将棋雑誌に謝罪文を掲載した。 永世称号資格保持者・かつ無冠の棋士同士の対局の場合は、先に最初の永世称号資格を取得したほうが上位者となる規定がある。 NHK杯テレビ将棋トーナメントでは座る位置については棋士序列に関係なくテレビカメラから見て左側が先手、右側が後手と決まっているが、それ以外の「玉将」を持つ等は棋士序列によっている。 なお、タイトル戦では男女棋士序列に関係なく常に当該タイトル保持者が上座に位置して対局を行う。
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