実用化と軍事への応用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/12 11:32 UTC 版)
「レーダーの歴史」の記事における「実用化と軍事への応用」の解説
1930年代に、ドイツでは、ヴィルスンとアーブスローが海軍司令官エーリヒ・レーダーの指示のもとで、イギリスでは、ロバート・ワトソン=ワットらにより航空省が援助して開発が進められ実用化され、1940年にイギリスはマグネトロン、翌1941年にはこれを用いたマイクロ波レーダーの開発に成功、ドイツ空軍の空襲に対する迎撃戦闘で大々的に使用し、ドイツのイギリス侵攻の阻止に大いに役立った。1942年には世界初の平面座標指示画面(英語版)(PPIスコープ)を採用したH2S_(レーダー)の開発にも成功する。 ドイツ空軍の空襲に対してイギリス空軍はレーダーを使った防空システムの整備により有効に対処することができ、この戦いは戦局の分水嶺となった。また、イギリス空軍は、ドイツ空軍による夜間爆撃に対抗するため、機上レーダーを搭載した夜間戦闘機を1941年に世界に先駆けて実用化し、ドイツ空軍の夜間爆撃を封殺した。海上戦闘でも、サボ島沖海戦やビラ・スタンモーア夜戦で、アメリカ海軍がイギリスからの技術供与で実用化したマイクロ波レーダーを活用して日本海軍を相手に勝利をおさめた。補給路を脅かす潜水艦に対してもレーダーは有効に働き、連合軍の海上輸送路の防衛に大きな役割を果たした。こうして、レーダーは戦術、戦略上でも重要な兵器であることを実証した。 ドイツ本土防空戦においては、イギリス空軍が夜間爆撃機の航法のためにマッピング・レーダーを搭載した。一方でドイツ空軍は夜間爆撃機に対して、夜間戦闘機にリヒテンシュタイン・レーダーなどを搭載して対抗したが、イギリス空軍も夜間戦闘機を護衛につけるなど対抗策を取ったため、イギリス空軍の夜間爆撃機が大打撃を被ることは少なかった。 日本でも、本土防空用にレーダーを組み込んだ早期警戒システムを整備したり、レーダー搭載の夜間戦闘機を開発したが、情報を管理するシステムに問題があり、戦闘機の数自体も不足していたため、有効に機能することはなかった。
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