宗教的信条
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 20:00 UTC 版)
ナボニドゥスが個人的には、月神シンの方を好んで崇拝していたのは明らかだが、月神シンへの傾倒の度合いについては学者の間でも意見が分かれる。彼の碑文から、彼がほぼ唯一、月神シンに対する信仰へ傾斜したのは明らかだという主張がある一方で、彼が他の神々や宗教にも敬意を払ったことから、ナボニドゥスが他のバビロニアの支配者と同様だったという意見もある。彼のネガティブなイメージは、ナボニドゥスがタイマに滞在して長期にわたりバビロンを不在にし、マルドゥク神に係る重要な新年祭を催すことができなかったことや、彼が月神シンを重要視したことに憤慨したマルドゥク神の祭司団によるところが大きい。だがいずれにせよ、彼の治世において、市民の動揺・混乱を示す証拠は見あたらない。マルドゥク祭司団とキュロスの両方によるプロパガンダの一つとして、ナボニドゥスがメソポタミア南部の最も重要な神像を取り上げ、バビロンに人質としてかき集めたという話がある。これはおそらく正しい。実に多くの碑文は、これらの神像がペルシア帝国軍の進軍の直前にバビロンに運び込まれたことを示している。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}[アブの?]月に 都市マラド(英語版)のLugai-Marada、キシュのザバダ、フーサッカラマの女神ニンリルがバビロンを訪れた。ウルルの月の終わりまでにはアッカドのあらゆる全ての神がバビロンに入った。 ボルシッパ、クーサ(英語版)、そしてシッパルの神はバビロンには来なかった。 - バビロニア年代誌、ナボニドゥスの治世第17年より しかしながら、現代の学者はこの行動に対して別の説明をする。メソポタミアでは、神はその像のなかに宿り、その都市を守るものと考えられてきた。ただしこの加護は、その神像が適切に取り扱われた場合にのみ、受けられる。そこでナボニドゥスはこれらの神像を特別に扱い、これらの神々が確実に彼と共にあるようにした。この行動(考え方)は、メソポタミアにおける伝統的な考え方でもある。 古代メソポタミアにおける偶像崇拝の強さと信念を示すもっとも強力な実例としては、戦時における偶像の扱いが挙げられる。紀元前一千年紀におけるアッシリアとバビロニアの史料は、都市の征服の結果、神殿から神像が撤去された例について、頻繁に言及している。強奪された神像は通常、勝利者の土地へ運び去られる(この行為は、アッシリアでとりわけ顕著である)。神像は、奇跡的にもとの都市の神殿に戻されるまで、ずっとそこで捕らわれの身となるのである。(中略)彼らの神が捕らわれ、その悪影響を受けるという憂き目を見るくらいなら - 言い換えれば、その神が彼らの都市を見捨てて破滅を招くくらいなら、多くの都市は、彼らの神像が敵国に渡るのを阻止しようとした。なぜなら神像を守ることは、困難な時期においてもなお、彼らの神々がその住民と土地を守護しているということを意味するからである。(中略)紀元前539年のペルシア帝国によるバビロニアの征服の直前の数ヶ月間、ナボニドゥスはシュメールとアッカドの大勢の神々を、首都へ集めるよう命じた。それ以前の試みとは異なり、ナボニドゥスによる召集命令は文書により保存されている。(この後、ボーリュー(カナダの歴史学者)はこの史料を詳細に議論している)— P.A.ボーリュー 1993:241-2 だがこの行為により、ナボニドゥスは彼の政敵、とりわけキュロスによる非難にさらされることになった。キュロスはなぜ彼がナボニドゥスよりも良い王なのかを示そうとし、この出来事をナボニドゥスの王としての欠陥の例として用いた。再びボーリューの文章から引用する: 神像を彼らの聖域へ戻すことは、キュロスにとってナボニドゥスのイメージを下げる政策の1つであった。神々を戻すことだけでは満足せず、彼は、廃位されていた王たちを、彼らの意思に反して彼らの都市に戻すことまでした。— P.A.ボーリュー 1993:243 そしてバビロンで1879年に発見された、キュロスの円筒形碑文に記録されているキュロス自身の言葉から。 天罰が下ったナボニドゥスがバビロンに運んだシュメールとアッカドの神々に対して、彼らの聖所において喜びのうちに暮らすことを、マルドゥク神の名において私(キュロス)は命ずる。私が聖所に戻す全ての神が、ベル神とナブー神の前において、私の治世が持続するよう願いますように。彼らが熱心に私の加護を嘆願しますように。- キュロスの円筒形碑文 30-34より。 このことは、バビロニア年代誌によっても裏付けられる。 キスリムの月からアッダルの月までの間に、ナボニドゥスがバビロンに連れてこさせたアッカドの神々は彼らの街に戻された。 - バビロニア年代誌、ナボニドゥスの治世第17年より
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