妙興寺文書
主名称: | 妙興寺文書 |
指定番号: | 145 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1993.06.10(平成5.06.10) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 古文書 |
ト書: | |
員数: | 549通 |
時代区分: | 鎌倉~江戸 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 妙興寺は尾張国中島郡を領した中島氏出身の滅宗宗興(一三一〇-八二)が貞和四年(一三四八)に開いた報恩禅寺を前身とし、のち先師の南浦紹明を勧請開山として、貞治四年(一三六五)に落慶した大応派の禅林である。この間、文和二年(一三五三)には将軍家祈願所、延文年中(一三五六-六〇)には後光厳天皇の勅願所となり、貞治三年には諸山に列して公武の庇護を受けつつ、他方国衙在庁中島一族や国衙領地頭荒尾氏による所領の寄進、買得などによってその経営基盤を拡大しつつ室町期に隆盛期を迎えた。この間、妙興寺は大応派崇福寺瑞雲庵末寺となり、以後龍翔寺との関係も深く、室町中期には南禅寺栖真院末となったが、戦国争乱によって寺運は衰退し、中興開山南化玄興の再建を経て、以後妙心寺派寺院として現在に至った。 本文書はこうした妙興寺の歴史を反映して建保年間の落合郷検注帳案を上限に明治初年に及んでいる。これらは江戸時代同寺再中興と称された南梁密鍼による貞享、元禄の整理と、明治三年の虔嶺守直の整理によって巻子・折本・掛幅装に仕立てられて現代に伝わったが、現状は昭和二十一・二年の片野温氏の再整理を経て、二六巻・六帖・三冊・一四幅・一三通に分類されている。 本文書の中心をなすものは南北朝・室町時代の文書で、内容から(一)草創開基、(二)規式、(三)宗旨、(四)寺領関係に大別される。 このうち(一)では開山宗興の関係文書がまとまっており、(二)では開山滅後の寺内統制や開山堂の日常祭祀の実態を伝える文書があって注目される。なかでも本文書中で最も特徴的な点は(四)の文書がその大半を占めることである。ことに開基から嘉慶二年(一三八八)までのおおよそ四〇年間に当寺領の骨格をなす三四六町の土地が当寺に蒐められており、そのいずれもが国衙領郷保内の土地であった事実は、南北朝時代に開かれた一地方寺院が国衙領領主層の支援を受けつつ寺領を集積し、公武の関係を通じて有力な地方禅林へと発展していく過程を明らかにして価値が高い。 |
重要文化財のほかの用語一覧
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