妙義神社
名称: | 妙義神社 |
ふりがな: | みょうぎじんじゃ |
名称(棟): | 本殿・幣殿・拝殿 |
名称(ふりがな): | ほんどう、へいでん、はいでん |
番号: | 2118 |
種別1: | 近世以前/神社 |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
指定年月日: | 1981.06.05(昭和56.06.05) |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
代表都道府県: | 群馬県 |
都道府県: | 群馬県富岡市妙義町妙義 |
所有者名: | 妙義神社 |
指定基準: | |
管理団体名: | |
管理団体住所: | |
管理団体指定年月日: | |
構造形式: | 本殿 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造 幣殿 桁行三間、梁間一間、一重、両下造 拝殿 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、 向拝一間、軒唐破風付 総銅瓦葺 |
時代区分: | 江戸後期 |
年代: | 宝暦6(1756) |
解説文: | 妙義神社は妙義山の主峰白雲山の東山麓にあって、日本武尊を祀る。江戸時代には幕府の保護を受け、また、神宮寺は上野寛永寺の支配下にあった。 本殿、幣殿、拝殿は権現造、唐門は一間平唐門で、いずれも随所に彫刻を付け、全面に漆塗、彩色を施した華麗な建物である。大工、彫物師、塗師など工匠は大半が江戸から来ており、北関東に多いこの種の遺構の中でも特に優れたものの一つである。拝殿の繋虹梁を丸彫りの竜とし、本殿の尾垂木を雲形とするなど、一部の構造材が彫刻化しているのは、同種の遺構の中では早い例といえる。日光の建築を考える上にも重要な意義をもつ。 総門は古式な三棟造の構造を残しながら、建ちが高くて屋根が大きいプロポーションや細部の意匠は時代相応であり、江戸時代後期の八脚門の代表的な遺構である。 |
近世以前(神社): | 奥石神社本殿 妙成寺三十番神堂 妙本寺番神堂 妙義神社 宇和宮神社本殿 宇太水分神社末社宗像神社本殿 宇太水分神社末社春日神社本殿 |
妙義神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/15 07:37 UTC 版)
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妙義神社 | |
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![]() 本殿・幣殿・拝殿 |
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所在地 | 群馬県富岡市妙義町妙義6番地 |
位置 | 北緯36度18分1.7秒 東経138度45分44.6秒 / 北緯36.300472度 東経138.762389度座標: 北緯36度18分1.7秒 東経138度45分44.6秒 / 北緯36.300472度 東経138.762389度 |
主祭神 | 日本武尊 豊受大神 菅原道真公 権大納言長親卿 |
社格等 | 旧県社 |
創建 | 宣化天皇2年(537年) |
本殿の様式 | 権現造 |
地図 |
妙義神社(みょうぎじんじゃ)は、群馬県富岡市にある神社である。旧社格は県社。
概要
上毛三山の一つである妙義山の東麓に鎮座し、妙義山信仰の中心となっている神社である。江戸時代は関東平野の北西に位置し、江戸の乾(戌亥)天門の鎮めとして、家運永久子孫繁昌を願って歴代の徳川将軍家に深く信仰された。
近年は大河ドラマのロケ地としても使用されている。総門をくぐると銅鳥居で、その先に165段の石段があるが、ここは、2005年の『義経』で、牛若丸が修行する鞍馬寺という設定でロケ地になった。また、2009年の『天地人』においても、雲洞庵のシーン撮影は当社で行われた。
2007年の台風による土砂崩れで一部被害が出たため修復が必要となり、本殿につながる階段以降は立ち入り禁止となった際は、波己曽社殿を仮殿と定めていた。復旧工事は2013年12月に完了し、本殿も5年ぶりに一般公開された。
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県道脇に建つ大鳥居
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唐門へ至る石段
歴史
神仏習合時代、妙義神社には別当(神社を管理する寺)として上野寛永寺の末寺である白雲山高顕院石塔寺があった。現在の妙義神社の総門は、明治の初めに廃寺となった石塔寺の仁王門である。神社の総門となった現在も、左右に仁王像が祀られている[1]。
現在の社殿は、宝暦年間(1751年 - 1764年)の大改修によるものである。古くは波己曽(はこそ)神社といい、『日本三代実録』に記載がある。
文化財
重要文化財
- 妙義神社 7棟 - 昭和56年(1981年)6月5日、本殿・幣殿・拝殿・唐門・総門の指定。令和6年(2024年)12月9日、随神門・廻廊・銅鳥居・御殿(附棟札2枚)・社務所・附波己曾社本殿及び拝殿・附棟札2枚の追加指定[2]。
- 本殿・幣殿・拝殿(附 神饌所1棟、透塀1棟、棟札1枚、銘札1枚、旧屋根銅瓦1枚)
- 江戸時代後期(1756年)の建立。本殿、桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造。幣殿、桁行三間、梁間一間、一重、両下造。拝殿、桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風。。
- 唐門 - 江戸時代後期(1756年)の建立。桁行一間、梁間一間、平唐門、銅瓦葺。
- 随神門
- 廻堂
- 銅鳥居
- 御殿(附 棟札2枚)
- 社務所
- 総門 - 旧白雲山石塔寺の仁王門。江戸時代後期(1773年)の建立。三間一戸八脚門、切妻造、銅板葺。
- 附指定:波己曾社本殿及び拝殿1棟、棟札2枚
- 本殿・幣殿・拝殿(附 神饌所1棟、透塀1棟、棟札1枚、銘札1枚、旧屋根銅瓦1枚)
- 紙本著色地蔵菩薩霊験記(東京国立博物館に寄託) - 南北朝時代の作品。昭和34年(1959年)6月27日指定。
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唐門
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総門
出典
- ^ “妙義神社総門(旧白雲山石塔寺仁王門)”. ニッポン旅マガジン. 2020年8月2日閲覧。
- ^ 令和6年12月9日文部科学省告示第169号。
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
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