大会の出来事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 04:17 UTC 版)
「2010年バンクーバーオリンピック」の記事における「大会の出来事」の解説
記録的暖冬 例年なら1月の平均気温は3.3度程度のバンクーバーであったが、2010年度はエルニーニョ・南方振動の影響で平均7.2度と例年を4度も上回った上に雪が降らず、フリースタイルスキーの会場にはヘリコプターで雪が運び込まれた。バンクーバー市内ではすでにウメが咲いているほどである。 リュージュ事故 2月12日、グルジア(現:ジョージア)のノダル・クマリタシビリ選手が、開会式前にリュージュ男子1人乗り公式練習をウィスラーのスライディングセンターで行ったところ、コースから外れて周囲の壁や鉄柱に激突、病院で死亡が確認された。IOCのジャック・ロゲ会長も記者会見を開き「すべてのオリンピック関係者が悲しみに打ち拉がれ、今オリンピックに暗い影を落とすでしょう」と述べた。なお、冬季オリンピックでの事故死例はアルベールビル五輪以来で、5人目だという。この事故を受けて開会式では、グルジア選手団が喪章を着け旗手は弔旗を持って入場し、カナダ国旗と五輪旗が半旗を実施して、ロゲ会長が開会の挨拶の冒頭で哀悼の意を読み上げた。また、リュージュ競技では出場選手全員がヘルメットに喪章をつけて競技に臨んだ。 2月12日深夜、国際リュージュ連盟とバンクーバー五輪大会組織委員会は事故について合同声明を出した。それによると「クマリタシビリ選手が事故のおきたカーブに進入したときにそれまでの滑走の乱れを『適切に処理しなかった』のが事故の原因であり、コースに欠陥はなかった」と結論づけた。 これに対し、バンクーバーに滞在していたグルジアのサーカシビリ大統領が「技術的なことはわからないが、間違いなくいえることは、選手のミスが死につながることはあってはならない」と合同声明に不快感を示した。サーカシビリ大統領に随行していたグルジアのルルアスポーツ文化相も、「選手の経験不足が事故の原因だとほのめかすやり方は不公平かつ不正確」だと反論した。 米紙『ニューヨーク・タイムズ』は、この合同声明を「無神経」と批判し「大会主催者は事故を悲劇ではなく、大会運営の邪魔だと捉えている」と非難した。 米紙『ウォールストリート・ジャーナル』は、グルジアのクマリタシビリ選手の実家を取材し、同選手が「コースが怖い」という内容の電話を家族にしていた事実を報じた。 米紙『フィラデルフィア・インクワイアー』は、この事故について競技の内容変更や中止を恐れて、選手たちの間にも人為的なミスが原因だという意見が支配的であること指摘し「サーカシビリ大統領のような健全な意見は選手たちの中にはない」と嘆いた。 事故を受け、リュージュ競技はスタート位置が本来より176m下げられたほか、コースの壁の部分の氷が垂直になるように削られるなど安全対策が行われた上で実施された。これに対してアメリカの『ニューヨーク・タイムズ』は「でっち上げだ」と非難している。 死亡事故発生後、ウィスラーのスライディングセンターではボブスレーの公式練習も行われたが、2月17日には日本を含む8件もの転倒事故が発生した。翌18日にボブスレー公式事故多発を受けて、男女のボブスレー4人乗り、ボブスレー女子2人乗りについて各種目6回の滑走回数だが、公式練習を実施していないチームは希望があれば2回追加できるように配慮された。なお、スタート位置の変更は無かった。 改修前の最終コーナーのスピードはリュージュの場合155km/hにもなり、高速化への疑問およびそれに伴う危険度の向上に対して無配慮だったことへの疑問も呈されることになった。 コース問題 アルペンスキーでは、特に女子や男子回転でコース途中に転倒する選手が続出した。このため、コース難易度に無理があったのではないかという指摘がされている。
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