回顧行事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 15:01 UTC 版)
パウル・ゲルハルトの没後200年にあたる1876年、リュッベンに記念銘版が設置された。その記念銘版は1976年に新しいものに取り替えている。1907年、教会の前にゲルハルトの記念像も設置した。1930年に教会正面入り口部分に塔をつけ、ゲルハルトの詩文銘版も設置した。 1830年、ゲルハルトの生誕地グレーフェンハイニフェンで彼を記念してパウル・ゲルハルト礼拝堂、1907年にパウル・ゲルハルトの家を建設した。そこでは1911年に彫刻家フリードリヒ・プファンシュミットによって制作された記念像も設置された。1840年に即位したプロイセン王 フリードリヒ・ヴィルヘルム4世は以前の選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム (ブランデンブルク選帝侯) とは異なり、ゲルハルトの信仰を高く評価し賞賛した。ルター都市ヴィッテンベルクはゲルハルトの功績を記念するためにパウル・ゲルハルト神学校とパウル・ゲルハルト通りを設置した。パウル・ゲルハルトの住居に記念銘版も取り付けられた。砂岩から出来た記念銘版が1924年からゲルハルトの住居の裏側に取り付けられている。1950年、ミッテンヴァルデ・聖モーリッツ教会にパウル・ゲルハルトを説教者、詩作家として顕彰する内陣窓が設置された。2001年7月14日の記念礼拝後、この街の地区教会の南側に記念像の除幕式がおこなわれた。この記念像は1905年に作られたフリードリヒ・プファンシュミットによる石膏像をモデルにしている。記念像はベルリンにあるパウル・ゲルハルト施設にあるディアコニア看護学校にも設置されている。ベルリンのニコライ教会には1957年以来記念銘版が取り付けられている。この横に1999年にゲルハルトとクリューガーの功績を讃える新たな銘版も取り付けられた。同じ、1957年にドイツ連邦郵便から生誕350年を祝う記念切手が発行された。その切手には彼の肖像が入っていた。1961年、ゲルハルトの抒情詩人としての作品に注目した最初のレコード全集が登場した。 ゲルハルトの形跡は彼の働いた諸都市においてのみ見られるものではない。彼は詩人として市区境界を越えて働いたのであり、彼の名前は数多くのドイツの都市、教会、学校、幼稚園、施設、街路に見出せる。このような諸施設はパウル・ゲルハルトの名を追憶の中において保つ働きをしている。2007年において生誕400周年が祝われた。これを機会に保守的な信仰者と見なされるミュージシャンであるディーター・ファルクとザラ・カイザーがゲルハルトの曲をジャズ風に編曲して発表した。一部の者たちはこの現代風編曲において、フェミニスト神学や解放の神学の勃興に対抗する神学的正統派によるカウンターと見なした。その編曲の背後に保守主義と敬虔主義を一致させた新たな神学的な傾向を見ていたのである。
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