唐松岳頂上山荘
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唐松岳頂上山荘(からまつだけちょうじょうさんそう)は、唐松岳南東肩の標高2,620 m地点にある山小屋。後立山連峰縦走時の白馬岳と鹿島槍ヶ岳への中継基地として重要な拠点とされている。収容人数は350人で、営業期間は4月末-10月中旬(2015年の営業期間)。 西側にキャンプ指定地が併設されていて、水場はない。 山小屋では天水とポンプで汲み上げられた1,200 m離れた雪渓の融雪水が併用されている。 1906年に白馬山荘(前進である頂上小屋)を開業した白馬館の初代経営者松沢貞逸から事業を引き継いだ二代目の下川富男が、現在の唐松岳頂上山荘となる「唐松小屋」を1932年(昭和7年)7月1日に開業した。日本電力の石室小屋を建設作業宿舎として使用し、建設資材は現地で払い下げを受け、6間に3間半の総2階建てで半割りの丸太外壁の山小屋であった。この後20坪程増設し、収容力が増強された。太平洋戦争の状況が悪化する中、下川は召集を受け華北へ出征し、1945年(昭和20年)6月に戦死した。戦争中一時閉鎖を余儀なくされた唐松小屋は雪害などにより荒廃した。松沢庄左エ門が小屋番となり営業を行ったが、1950年(昭和25年)頃までは登山者はまだ少なかった。1954年(昭和29年)に経営を引き継いだ妻の安喜が小屋を改築した。1955年(昭和30年)7月半ばには、連日の晴天で歩荷で担ぎあげていた雪渓の融雪水が涸れたために、八方池からゴム袋に水を入れて運ぶ非常事態が発生した。1957年(昭和32年)に雪渓の融雪水を小屋までポンプで汲み上げられるようになった。1958年(昭和33年)に八方ケーブルが開通したことを契機に、山岳ホテル的な山小屋を目指し、一時従業員のスタイルに制服と蝶ネクタイを採用していたことがあった。1960年(昭和35年)に歩荷で資材を上げて本館が再建され、唐松岳頂上山荘に改名された。1963年(昭和38年)に北アルプスで初めてヘリコプターによる資材運搬が行われ、1963年(昭和37年)に食堂を併設する新館が唐松岳側に増築された。1974年(昭和59年)に冬期小屋として使用されていた旧館を取り壊し、鉄骨2階建の南館がオープンした。1992年当時、京都大学医学部唐松診療所の夏山診療所が開設されていた。
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