唐松岳頂上山荘とは? わかりやすく解説

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唐松岳頂上山荘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 12:14 UTC 版)

唐松岳」の記事における「唐松岳頂上山荘」の解説

唐松岳頂上山荘(からまつだけちょうじょうさんそう)は、唐松岳南東肩の標高2,620 m地点にある山小屋後立山連峰縦走時の白馬岳鹿島槍ヶ岳への中継基地として重要な拠点とされている。収容人数350人で、営業期間4月末-10月中旬2015年営業期間)。 西側キャンプ指定地併設されていて、水場はない。 山小屋では天水ポンプ汲み上げられた1,200 m離れた雪渓融雪併用されている。 1906年白馬山荘前進である頂上小屋)を開業した白馬館の初代経営者松沢貞逸から事業引き継いだ二代目下川富男が、現在の唐松岳頂上山荘となる「唐松小屋」を1932年昭和7年7月1日開業した日本電力石室小屋建設作業宿舎として使用し建設資材現地払い下げを受け、6間に3間半の総2階建てで半割り丸太外壁山小屋であったこの後20坪程増設し収容力増強された。太平洋戦争状況悪化する中、下川召集を受け華北出征し1945年昭和20年6月戦死した戦争中一時閉鎖余儀なくされた唐松小屋雪害などにより荒廃した松沢庄左エ門が小屋番となり営業行ったが、1950年昭和25年)頃までは登山者はまだ少なかった1954年昭和29年)に経営引き継いだ妻の安喜が小屋改築した1955年昭和30年7月半ばには、連日晴天歩荷担ぎあげていた雪渓融雪涸れたために、八方池からゴム袋に入れて運ぶ非常事態発生した1957年昭和32年)に雪渓融雪小屋までポンプ汲み上げられようになった1958年昭和33年)に八方ケーブル開通したことを契機に、山岳ホテル的な山小屋目指し一時従業員スタイル制服蝶ネクタイ採用していたことがあった。1960年昭和35年)に歩荷資材上げて本館再建され、唐松岳頂上山荘に改名された。1963年昭和38年)に北アルプス初めヘリコプターによる資材運搬が行われ、1963年昭和37年)に食堂併設する新館唐松岳側に増築された。1974年昭和59年)に冬期小屋として使用されていた旧館取り壊し鉄骨2階建の南館オープンした1992年当時京都大学医学部唐松診療所夏山診療所開設されていた。

※この「唐松岳頂上山荘」の解説は、「唐松岳」の解説の一部です。
「唐松岳頂上山荘」を含む「唐松岳」の記事については、「唐松岳」の概要を参照ください。

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