呼称、起源と種類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/11 03:06 UTC 版)
「フレンチ・ハウス」の記事における「呼称、起源と種類」の解説
「フレンチ・ハウス」という呼称は1999年のクリスマスの休暇期間中にMTV(英語版)で最初に使用された。いわゆる「フレンチ・ハウス・エクスプロージョン」という現象を説明する為にMTVニュース特番で使用された。ボブ・サンクラーがエールやカッシアス(英語版)と同様にインタビューに答えた。このニュース特番はMTVの全世界の局で後に放送され、「フレンチ・ハウス」という呼称を主流派の聴衆に紹介した。 それ(1996年–2000年)に先立ち、フレンチ・ハウスはヨーロッパの人々の間で「ニュー・ディスコ」、「ディスコ・ハウス」として言及される様になっていた。しかしながら、「フレンチ・タッチ」という呼称は音楽ジャーナリストマーティン・ジェイムスによって、今では存在しない週刊紙「メロディー・メーカー」の1996年のスーパー・ディスカウントEPのレビューで最初に使われた。この用語はフランスのメディアの間で好意的に使用され、1998年までにイギリスのジャーナリズムでも広く使われる様になった。マーティン・ジェイムスは後にフランスの新聞リベラシオンとラジオ局NRJによって、フレンチ・ハウスの現象に「フレンチ・タッチ」という名を付けたジャーナリストとして認められた。 その頃のニュー・ディスコの最大マーケットの一つはギリシャであり、特にアテネだった。ディスコボールという名の地元のレコード店がレコードをフランスから直接輸入し、シティ・グルーヴの様な中流派のクラブが1998年から2001年までこのジャンルに完全に貢献した。ギリシャでは、この音楽様式は「ディスコ・ハウス」として売り込まれた。 同じ時期に、ディスコ・ハウスはカナダで成功し始めた。1999年には多くのイベントがスペインのイビサ島でも開催され、イギリスの観光客に非常に人気がある目的地であった。 フレンチ・ハウスは本質的には三種類の様式の結合である。第一の様式はフランス人が今でも「フレンチ・タッチ」と呼んでいるもので、スペース・ディスコのサウンドに大きく影響を受けている。第二の様式はユーロディスコが継承や更新されたもので、アレック・R・コンスタンディノス(英語版)の作品に大きく影響を受けている。第三の様式はサンプルや反復される「ファンキー」なフックの同様の扱いに明確なディープなアメリカのハウスの様式とされる。当然ながら更に多くの種類が登場し浮き沈みが続いた。フレンチ・ハウスは「スペース・ディスコ」のテーマよりもユーロ・ディスコの様なヴォーカルに重点を置くことで、確立された「フレンチ・タッチ」を堅実に保っている。しかし、この音楽において最も成功したミュージシャンの大部分は、その後自身のサウンドを変更した。大ヒット曲「World, Hold On(英語版)」(SFをテーマに据えた映像が制作された)を含むボブ・サンクラーの後の作品は、本来のフレンチ・ハウスのサウンドからは遠い距離を取った。ダフト・パンクとエティエンヌ・ドゥ・クレシーの双方は、テクノやエレクトロ、ポップスから直接インスパイアされた、よりハードなシンセサイザーの音を発展させた。 イビサ島では、ディスコ・ハウスは後に別の方向に向かい、UKガラージ(1990半ばの音楽スタイル)からのヴォーカルなどの要素と、現地のラテン的な雰囲気が取り入れられた。2007年までには、多くのアンダーグラウンドなディスコ・ハウスの曲はイビサ派に所属した。 フレンチ・ハウスはベニー・ベナッシ(英語版)に対し、自身の「テック・ハウス」(tek-house。「パンピング・ハウス」としても知られる)という音楽スタイルを形成する上で影響を与えた。その短命に終わった音楽スタイルは2002年から2004年まで、ベナッシ・ブラザーズ(英語版)、ロイヤル・ジゴロス(英語版)やシャナ・ヴァンガルドといったアーティストとともにヨーロッパで非常に人気があった。2007年の間にテック・ハウスとフレンチ・ハウスとのクロスオーバーがフランスの音楽市場に登場したが、限定的な成功に終わった(M6Musicチャンネル、W9やNRJ Musicで宣伝された)。これらのヒットの大半は2000年代のエレクトロ・ハウスにリミックスされ、、エレクトロ・ダンス(フランス語版)(テクトニック)と呼ばれる新しく登場したダンス・スタイルとともに主流派の聴衆に届けられた。
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