呼称・用語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 16:00 UTC 版)
詳細は「w:Chinese sovereign」を参照 皇帝は、法により誰によっても犯すことのできない絶対的な地位にあったので、臣下は、たとえ皇帝と直接会話を交わさない場合でも、皇帝の面前では皇帝に最大の敬意を表さなければならなかった。玉座に近づく際には皇帝の眼前で叩頭することが求められた。皇帝との会話では、いかなる形であれ自身を皇帝と同列に置くことは罪とみなされた。皇帝の母でさえ本名で皇帝を呼ぶことは禁忌であり、代わりに皇帝や児を用いた。皇帝には決して通常の二人称で呼びかけてはならず、皇帝と話す際は、陛下、皇上、聖上、天子と呼ぶことになっていた。皇帝を竜に喩えて婉曲に言及することもあった。家臣はしばしば万歳爺と皇帝を呼んだ。皇帝は自らを朕(本来は古代中国語の一人称で、始皇帝が皇帝専用の自称とした。西洋では「尊厳の複数」がこれに相当する)と呼び、臣下の前では寡人と呼んだ。 即位名(例:ジョージ5世)や個人名(例:ヴィクトリア女王)で君主を呼ぶ西欧の慣例とは対照的に、在位中の皇帝を三人称で触れる場合にはただ皇帝陛下または当今皇上と呼んだ。清では、場合により大きく異なることがあるものの、通常は大清皇帝陛下、皇上、聖上、天子、万歳爺と呼称した。 一般に皇帝は元号(年号)の制定も行った。元号を導入した漢の武帝から元朝まで、皇帝は在位中に半ば定期的に改元するのが慣習であった。明と清では一世一元の制を採用し、人民はしばしば旧代の皇帝を指すのに元号を用いた。古代の王朝では、皇帝は死後に贈られた廟号で呼ばれた。多くの皇帝は諡号も与えられ、ときに廟号と併用された(例:康煕帝の呼称「聖祖仁皇帝」)。皇帝の死去は駕崩と呼ばれ、死去後間もない皇帝は、大行皇帝と呼ばれた。
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