反都市主義・反ユダヤ主義・ナチズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 07:05 UTC 版)
「オクシデンタリズム」の記事における「反都市主義・反ユダヤ主義・ナチズム」の解説
「地方」を飲み込む「怪物」としての大都会は、ヨーロッパでしばしばユダヤ人や根無し草の守銭奴と同一視された。こうした偏見の表現例としては、T・S・エリオットの詩がある。 わたしの家は朽ちた家。窓のしきいにしゃがみこんだユダヤ人、これが家主、アントワープは名ばかりのカフェーで産みつけられ、 ブリュッセルでできものこさえ、ロンドンに来て貼ったり剥いだり。 ラビ(ユダヤ教の聖職者)の孫だったカール・マルクスは、ユダヤ人資本家をシラミに例え、貧困層を食い尽くす不潔な都会の寄生虫と評した。他の19世紀の社会主義思想家としてはピエール・ジョセフ・プルードンがおり、彼はユダヤ人を 気質的に反生産的 … 常に欺く寄生虫的な仲介人で、哲学においても商売においても、歪曲、偽造、詐欺に精通している と評した。ナチスはこのような偏見を受け継いで、大都市(ニューヨーク、ロンドン、パリ、ベルリン等)と、「寄生」するユダヤ人とを結び付けた。1933年以前のベルリンは、ナチスや多くのロマン派土着主義者にとって、退廃の象徴だった。1890年代のドイツでは、自然主義者・民俗愛好家・ヌーディスト(裸体主義者)・愛国主義者等が、「ベルリンから離れよう」というスローガンを掲げた。また、工場・スラム街・ナイトクラブ・左翼・民主主義・ユダヤ人・外国人等のあふれる「ベルリンの煉瓦から離れよう」という提唱も起こり、ベルリンの現代性は「ドイツらしくない」と攻撃された。 ナチスのプロパガンダでは、ベルリンのデパートは「ユダヤ人の唯物主義」の象徴であり、ドイツ女性の女らしさを化粧品等の「コスモポリタン」(世界主義的)な商品で堕落させるものだった。ナチスの出版物では、ベルリンのデパートは中小企業や正直な職人を締め付ける、ぬるぬるした不気味なタコとして描かれている。自然科学やモダニズム芸術は「ユダヤ人のペテン」と見なされ、ジャズという「ニグロ音楽」は、邪悪なアメリカ精神を表現しているとして非難された。 ヨーロッパ以外でも、西洋またはアメリカニズムが、大都会の悪徳や田舎の牧歌的風景消失の責任を負わされた。たとえば東南アジアでは中国人が、アフリカではインド人が責任を負わされ、彼らは金で動く「西洋化された」現地のエリートと結託し、本物の精神性に溢れる人種的に純粋なコミュニティーを毒する集団として攻撃される。しかし彼らの位置づけは、アメリカニズムと大都市に寄生する「ユダヤ人」の変形版である。そもそも、アメリカニズムやウェストクシフィケーション(Westoxification 西洋毒化)にまつわるこうした考え方は、元をたどれば西洋内で生まれた偏見に起源がある。
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