南軍の準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:47 UTC 版)
「ジャクソン砦・セントフィリップ砦の戦い」の記事における「南軍の準備」の解説
リッチモンドの南軍陸軍省(長官はジュダ・P・ベンジャミン、後にジョージ・W・ランドルフ)のニューオーリンズ防衛に対する作戦では、初めから市に対する脅威は北から来るという考えで固まっていた。この考えを反映して市を守るために考えられた物資が、アイランドNo.10、ピロー砦、テネシー州メンフィスなどミシシッピ川の強固な地点に送られた。市に直接接する所は、例えばシャイローの戦いに導く遠隔の方面作戦に使用するために大砲が引き上げられており、実際に弱くなっていた。ニューオーリンズ地域から軍人として使える年齢の者も引き抜かれていた。南軍第1方面軍指揮官のマンスフィールド・ラベル少将は、遠隔地にいる上官よりもメキシコ湾で築き上げられたものに多くの信頼を置いていた。当時ミシシッピ川の南軍海軍を指揮した艦隊司令のジョージ・N・ホリンズは、個人的にはラベルに同意したが、その受けた命令は彼が考える所に従った行動を認めるものではなかった。 ジャクソン砦とセントフィリップ砦は、地元のジョンソン・K・ダンカン准将が指揮していた。守備隊兵士の平均的な質は、ラベルやダンカンが望んだほど高くはなかった可能性がある。武闘派兵士の多くは別の戦場に引き抜かれており、優柔不断な者や戦闘に不適な者が残っていた。ニューオーリンズは国際都市の部類であり、南軍の大半の部隊よりも外国生まれの兵士の比率が高かった。それでも特別な働きはしないまでも、その任務は果たすものと期待できるものがあった。 ニューオーリンズ市周りの砦は、川の通行を妨げるために川に渡して張られた防御用鎖2本で補強されていた。これら鎖は報告書によって「筏」と呼ばれたり、ダムと呼ばれたりしている。1本の鎖はニューオーリンズ市より上流に渡されており、今回の戦闘には効果が無かった。もう1本は砦群のすぐ下流に置かれ、そこを突破しようとする敵の艦船は砲架に曝されることになる。この障壁はもう一方よりかなり重要だった。当初ラベルが方面軍の指揮を執った直後に置かれたが、春の洪水で流れ下って来たゴミの重さにより切れてしまった。修繕されたものの、ラベルは当初のものほど良いものだとは考えていなかった。 もう1つの防御策は幾らかの船とボートであり、3つの組織に分けられ、共通の指揮官は居なかった。これらの内で火力最大のものは南軍海軍艦船の集まりだった。装甲艦CSSマナサス、CSSルイジアナ、CSSミシシッピの3隻、従来型の戦闘艦であり商船から転換されたCSSマクレイとCSSジャクソンの2隻、および武装していない支援船数隻だった。ルイジアナ州は暫定海軍としてCSSジェネラルクイットマンとCSSガバナームーアの2隻を備えた。3つ目の部隊は、河川防衛艦隊のコットンクラッド衝角艦6隻であり、通常は南軍州陸軍の一部だが、市民船長が指揮し、大半が市民の乗組員だった。その6隻はCSSウォリアー、CSSストーンウォールジャクソン、CSSディファイアンス、CSSレゾリュート、CSSジェネラルラベル、CSSジェネラルブレッキンリッジ(R・J・ブレッキンリッジとも呼ばれた)だった。さらに幾らかの曳船と非武装港湾用船舶があり、その中でもCSSベルアルジェリンとCSSモシャーは、この戦闘で果たした役割で言及されるべきものである。
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