南軍の最後の攻撃と陣地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/20 00:17 UTC 版)
「ディンウィディ・コートハウスの戦い」の記事における「南軍の最後の攻撃と陣地」の解説
ピケットは歩兵部隊にアダムズ道路を降るカスターの陣地に攻撃させ、一方フィッツヒュー・リーの騎兵隊には北軍の左翼を攻撃し、マンフォードの騎兵隊にはアダムズ道路とボイドトン板張り道路の間の野原を援護することにした。南軍が攻撃を始める直前に、シェリダン、メリット、カスターが馬で前線を駆けて、激励の声を呼びかけ、自らを銃火に曝す形になった。これら将軍の後を文民数人が馬で続いていたが、その中で「ニューヨーク・ヘラルド」の記者が軽傷を負った。 南軍が攻撃を始めると、ピケットの歩兵部隊がまずペニントンの前衛線を急襲した。ペニントンの旅団が後退し、ケイプハートの旅団に接するアダムズ道路の右手にある尾根の頂点で部隊を再編した。ピケット隊はペニントン隊が後退している間に、その攻撃をフォローする直接の動きを起こさなかった。ペニントン隊は新たな攻撃を受ける前に、フェンスレールのバリケードを作り上げる時間があった。南軍歩兵部隊が遂に攻撃を再開すると、カスターの再編された防御線が連発ライフル銃を使い、南軍を2度後退させた。その左翼では、フィッツヒュー・リーの騎兵隊がスミス隊を攻撃した。スミス隊は大きな損失を出しながらその陣地を保持し続け、暗闇が近くなったころに弾薬が尽きた。「弾薬筒もなしに良好な前線を提示することで」スミス隊の後退する部隊はさらに南にある強力な陣地を占め、弾薬がまだあるように装うことで、南軍のさらなる攻撃意欲を削いだ。暗闇が近づくと、カスターがケイプハートの下馬した兵士を率いて突撃して南軍を後退させた。残っているエネルギーを絞り出しているように見えた。 この時までに全く暗くなり、ピケットはカスターの抵抗の前に、南軍の攻撃停止を命じた。マンフォード大佐はピケットがこの判断を下したことを批判し、南軍は「黄金の機会」を失ったのであり、「昼の灯りはそれに何の関わりも無かった」と言っていた。それでも両軍は暗くなってから数時間も互いに発砲を続けた。 この日の戦闘が終わった時点で両軍の前線は非常に接近していた。僅か約100ヤード (90 m) 開いているだけだった。ピケットの歩兵部隊がアダムズ道路に跨り、フィッツヒュー・リーの騎兵隊が右手に、マンフォードの騎兵隊が左手にいた。南軍の哨戒線は左手のG・U・ブルックの農園から右手のフィッツジェラルド・フォードまで広がっていた。カスターの2個旅団がシェリダン軍の前衛となり、翌朝早くからの攻撃を予測して、肘を枕に寝た。その指揮官達に拠れば、両軍は翌朝敵が危険な状態にあるものと考えていた。
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