南軍の動き
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1863年、ジェイムズ・ロングストリート中将が南軍バージニア州およびノースカロライナ州方面軍指揮官となった。ロングストリートは4つの目標を与えられた。すなわち第1に首都リッチモンド市を守ること、第2に必要とされれば、またそのようなときにロバート・E・リーの北バージニア軍を支援すること、第3に南軍のために物資を徴発し供給すること、第4にもし可能ならばサフォークの北軍守備隊を捕獲すること、だった。ロングストリートは北バージニア軍とノースカロライナ州から3個師団を得た。
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南軍の動き
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「ホワイトオーク道路の戦い」の記事における「南軍の動き」の解説
ルイス農園の戦い後、3月29日の夜には豪雨となり、リーは前線の端部にいるアンダーソンの守備隊を支えるために、サミュエル・マクゴワン准将の旅団を派遣した。ウィリアム・マクレイ准将の旅団もバージェス・ミルの西に動いた。カドマス・M・ウィルコックス少将の3個旅団が、動いた部隊の後をカバーするために広がって守るしかなくなった。マクゴワンとマクレイは十分な戦力をもっておらず、そのためにジョンソンはその前線をファイブフォークスの交差点まで伸ばせなかった。 3月30日、この日も1日篠突く雨が降り続き、北軍はその陣地を統合し、一方リーはジョージ・ピケット少将に対して、フィッツヒュー・リー少将の騎兵隊の援助を得て、南軍前線のハッチャーズランに近い端部からファイブフォークスまで4マイル (6.4 km) を移動する移動部隊を結成する命令を出していた。ピーターズバーグの南西にある南軍ホワイトオーク道路前線の端部と、ファイブフォークスにいるピケット隊との間にある隙間を考え、3月30日にはその右翼側面を強化する配置を追加した。リーはジェームズ川の北にいるジェイムズ・ロングストリート中将の部隊を動かそうとしたが、北軍ゴッドフリー・ワイツェル少将の第25軍団で残っていた師団による陽動行動と偽装が大きく災いし、ロングストリートはまだオードのジェームズ軍全軍と対峙していると思い込んでしまった。しかし、オードはその3日前に第24軍団の2個師団、第25軍団の1個師団、およびラナルド・S・マッケンジーの騎兵隊と共に、ピーターズバーグの南にある北軍の前線に移動していた。 リーは、カドマス・M・ウィルコックス少将の師団の左翼からアルフレッド・M・スケールズ准将の旅団、このときはジョセフ・H・ハイマン大佐の暫定指揮で、ホワイトオーク道路とボイドトン板張り道路の交差点に近い塹壕に移動させた。ウィルコックスの下でヤング・マーシャル・ムーディ准将の別の旅団、このときはマーティン・L・スタンセル大佐が暫定指揮していたものを、バージェス・ミルの南にある射撃壕に移動させた。マクレイの旅団はハッチャーズランの南西岸に移動し、既にバージェス・ミルに移動したばかりだった。ピケット師団のエッパ・ハントン准将の旅団が、ホワイトオーク道路前線沿いのクレイボーン道路との交差点近くでアンダーソンとジョンソンの部隊に合流した。ブライアン・グリムズ少将の師団が、以前はスケールズの旅団が占めていた前線の一部を埋める必要の生じたエドワード・L・トマス准将の旅団を補強した。 南軍の第1軍団指揮官A・P・ヒル中将が、3月31日に病気休暇から任務に戻っていた。
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