アメリア・スプリングスの戦い、あるいはペインズビルの戦い
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「アポマトックス駅の戦い」の記事における「アメリア・スプリングスの戦い、あるいはペインズビルの戦い」の解説
1865年4月5日朝、シェリダンはジョージ・クルック少将の師団からヘンリー・E・デイビース・ジュニア准将の旅団を、アメリアスプリングスから北に約5マイル (8 km) のペインビルあるいはペインの交差点に近いアメリア・コートハウスの向こうまで南軍の動きを偵察するよう送り出した。デイビースはペインビルの約4マイル (6.4 km) 東で輜重隊を発見して攻撃した。その輜重隊はリー軍の物資を積んでリッチモンドを出たものであり、食料、弾薬の他に作戦本部の荷物も運んでおり、マーティン・ゲイリー准将の騎兵旅団が護衛していた。これとほぼ同時に、デイビースはアメリア・コートハウスから過剰な大砲を積んでくる別の荷車隊が南から近づいて来るのに出逢った。 デイビース隊は南軍作戦本部の荷物を積んだ荷車を含め、その荷車の多くを燃やし、馬、ラバ、さらに大砲を捕獲し、ペインビルあるいはペインの交差点で630名を捕虜にし、ジーターズビルの方向に戻り始めた。フィッツヒュー・リー少将が、トマス・ロッサー少将とトマス・T・マンフォード大佐の騎兵師団と共に、帰還中の北軍騎兵隊を襲撃し、アメリア・スプリングスの北からジーターズビルまで1マイル (1.6 km) の地点まで走りながらの戦闘となった。アメリア・スプリングスまで着くとクルック師団のJ・アービン・グレッグ大佐(名誉准将)とチャールズ・H・スミス大佐(名誉准将)の指揮する他の旅団が援軍に駆けつけ、デイビース隊はその捕虜、捕獲した大砲や動物を連れたまま、ジーターズビルに戻ることができた。リーは、ジェイムズ・ロングストリート中将の第1軍団を先導として、午後1時にジーターズビルに向けた軍の移動を始め、そのダンビルに向けたルートが、動きの速い北軍の騎兵部隊によって遮られているのがわかった。リーは、多勢の北軍歩兵部隊が到着する前に、その道を切り開いて進めるだけ速く進行できないと判断した。 4月5日夜、北バージニア軍はロングストリートの軍団を再度先導として、更なる物資を受け取ることが期待されるライス駅に向かった。南軍輜重隊の長く緩りとした動き、雨で濡れた状態、道が限られていた条件のために、リーの軍団は長い列をなして進んだ。4月6日朝、ロングストリートの軍団がライス駅に到着し、そこでリー将軍とフィッツヒュー・リー少将の騎兵隊と合流した。そこに到着した列車から物資を補給し、他の部隊の到着を待った。その日遅くに北軍が接近し、残りの食料や物資を積んだ列車はさらに西にあるファームビルへ送られた。
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