リーの命令と南軍の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/20 00:17 UTC 版)
「ディンウィディ・コートハウスの戦い」の記事における「リーの命令と南軍の動き」の解説
リー将軍は北軍が3月29日に行った移動からの脅威を認識し、最右翼の防衛を強化するために前線の厚みを薄くした。またジョージ・ピケット少将の下にある移動部隊の組織を、フィッツヒュー・リー少将の騎兵隊を付けて最終形とし、ファイブフォークスの重要な交差点を守らせた。リーは、サウスサイド鉄道と重要な道路を使えるようにしておき、ディンウィディ・コートハウスの前進陣地から北軍を追い返すために、この交差点を支配したいと考えた。3月29日午後に連続した激しい雨が降り始め、それが3月30日も降り続いて、移動を遅らせ、動きを制限した。 フィッツヒュー・リーの騎兵師団はピーターズバーグを過ぎて、3月29日のシェリダン軍がディンウィディ・コートハウスに到着した頃にサザランド駅に到着した。トマス・L・ロッサー少将とW・H・F・"ルーニー"・リー少将の師団は、ノットウェイ川沿いのスペンサーズ・ミルとストーニークリークにあった陣地から動くためにシェリダン軍を避けて回り道をしなければならなかった。サザランド駅に到着したのは3月30日になっていた。サザランド駅ではその日早くに、リー将軍がフィッツヒュー・リー少将に騎兵隊の指揮を執り、ディンウィディ・コートハウスでシェリダン軍を攻撃するよう口頭で伝えていた。ロッサーとルーニー・リーの師団が4月30日夜にファイブフォークスに到着すると、フィッツヒュー・リーが騎兵隊の全体指揮官となり、トマス・T・マンフォード大佐を自分の指揮していた師団の指揮官とした。 3月30日早朝、この日は篠突く雨が1日続き、リー将軍はサザランド駅でアンダーソン、ピケット、ヘスなど幾人かの士官と会見した。そこからリーはピケットに、ホワイトオーク道路に沿って西に約4マイル (6.4 km) のファイブフォークスに部隊を動かすよう命じた。リーはピケットに、フィッツヒュー・リーの騎兵隊と合流して、ディンウィディ・コートハウスでシェリダン軍を攻撃し、南軍の供給線から遠くまで追い返すことを目指すよう指示した。ピーターズバーグの南西、ホワイトオーク道路前線の端と、ファイブフォークスにあるピケット隊との間に、4マイル (6.4 km) の隙間があることを心に入れ、この30日中にリーはその右翼側面を強化する配置を追加した。 ピケット隊は、北軍チャールズ・L・リーパー大佐のペンシルベニア第6騎兵隊と小競り合いを行い、その陽動行動に対応していたので、ファイブフォークスに到着したのは午後4時半になっていた。ピケット隊がフィッツヒュー・リーの騎兵隊が待っていたファイブフォークスに到着したとき、フィッツヒュー・リーとディンウィディ・コートハウスに進むべきかを話し合った。ピケットは状況を検討した上で、その日は時刻が遅くなっていること、他の騎兵師団が到着していないこともあって、ディンウィディ・コートハウスにいるシェリダン軍に対して、疲れている部隊を動かすのはあくる朝まで待つことに決めた。ピケットはウィリアム・R・テリーとモンゴメリー・コースの旅団を、ファイブフォークスの南の前進陣地に派遣し、北軍からの急襲に備えさせた。北軍トマス・デビン准将配下の部隊が前進してきた南軍歩兵旅団と交戦したが、南軍は予定した陣地に入ることができた。午後9時45分までに、ピケット隊はホワイトオーク道路に沿った配置を終えた。
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