リーの反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 03:36 UTC 版)
リーは、南軍がステッドマン砦の戦いで敗北し、シェリダンの騎兵隊がピーターズバーグに到着したときに、グラントが3月24日に命令を出したようにリー軍の右翼側面に回る動きをしてくると予測していた。ジェームズ川より北、すなわちピーターズバーグの南18マイル (29 km) 、ストーニー・クリーク補給所より北には6,000名の騎兵が居るだけであり、また北軍の予想される動きに対応するために前線を西に伸ばして送ることのできる歩兵は、事実上約5,000名に過ぎなかった。3月29日朝、リーはジョージ・ピケット少将にこの部隊を率いてサザランド駅に行き、ディンウィディ郡のファイブフォークスを守るために移動させた。ピケットにはウィリアム・R・テリー、モンゴメリー・コース、ジョージ・H・ステュアート各准将の旅団を率いて、ピーターズバーグの西10マイル (16 km)、サウスサイド鉄道のサザランド駅に行かせ、エッパ・ハントン准将にはピケット軍を補強する移動に備え、あるいはサウスサイド鉄道とリッチモンド・アンド・デンビル鉄道の接続点であるバークビルを守る準備を命じた。さらにフィッツヒュー・リー少将には、その騎兵師団を率いてサザランド駅に向かい、ルーニー・リーとトマス・ロッサー各少将の騎兵師団と合流するよう命じてもいた。フィッツヒュー・リーは統合された騎兵軍の指揮を執るよう命じられた。リーは、ピケットが南軍の前線をファイブフォークスの東4マイル (6.4 km) の右側面から、ファイブフォークスまで延伸できるかもしれないと考えていた。 3月29日の北軍の動きはリーを悩ませたので、その右側面を強化するためのさらなる動きを命じた。サミュエル・マクゴワン准将の旅団を西に行かせて、ジョンソンの前線をホワイトオーク道路に沿って延伸させた他に、ウィリアム・マクレイ准将の旅団を西に動かすことで、ホワイトオーク道路の前線を薄くした。ピケットは命令を受けていた通り3月29日夜にサザランド駅に到着した後、ウィリアム・R・テリー、モンゴメリー・コース、ジョージ・H・ステュアート各准将の3個旅団、ジョンソンの師団からマット・ランサムとウィリアム・ヘンリー・ウォレス各准将の旅団、フィッツヒュー・リー少将の騎兵1個師団、ウィリアム・ペグラム大佐の指揮する大砲6門を、3月30日にファイブフォークスまで移動させた。その後テリーの旅団とコースの旅団を南に送った。それでも、ピケットの部隊とマクゴワンの旅団の間には、ホワイトオーク道路の前線の外れで隙間が存在し続けていた。リーはマンチェスターの近くでハントンの旅団に予備隊の位置にいるよう命じ、そこでピケット軍を支援するか、北軍がサウスサイド鉄道とリッチモンド・アンド・ダンビル鉄道の結節点であるバークビルを攻撃するために移動した場合は、鉄道で移動してそこを守るように命じた。
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