南軍の信号司令部とは? わかりやすく解説

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南軍の信号司令部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/26 17:57 UTC 版)

南北戦争の信号司令部」の記事における「南軍の信号司令部」の解説

マイアーがウィグワグ装置実験するときに助手務めたエドワード・ポーター・アレクサンダー1861年5月1日アメリカ軍から除隊し工兵大尉として南軍入隊したアレクサンダー南軍信号司令部結成へ向けて新兵編成と訓練行っている時、バージニア州マナサスP・G・T・ボーリガード准将への出頭命令受けたアレクサンダー6月3日南軍ポトマック軍技師長と信号士官となった北バージニア軍兵器士官となった後で信号士官地位維持したが、他の任務優先された。 南軍の信号司令部は北軍のものに匹敵するような明確な部局になることは無かったが、アメリカ連合国議会1862年4月19日総務局長と監察官部局付設する組織として設立することを承認した。この日付北軍それより1年も前のことである。初代信号士官長はメリーランド州弁護士で、当時ジョン・マグルーダー少将参謀だったウィリアム・ノリス大尉務めたノリス司令部は、少佐1名、大尉10名、少中尉20名、軍曹20名および各種部局から選抜された1,500人の兵士構成し信号士官1名が各軍団と師団参謀として承認された。南軍信号司令部任務機材北部と、若干例外除いて似ていたが、電信線と訓練され電信員が不足していたために、野戦通信電信使われる事は無かった視覚通信類似した旗用いて行われたが、符号手旗操作マイアー方法から若干修正された。北軍信号司令部異なったのは、南軍信号司令部南部のために諜報活動を行うことも公認されていた為(両軍とも戦場情報収集時には高所観察地点から砲兵隊砲撃方向教えることなど貴重な任務担ったが、南軍司令部員は敵の全線背後での隠密任務負った)、南軍諜報部隊として実際に機能しリッチモンドから北部カナダまでも延び機密通信線情報網管理運用した。しかし、それらは隠密に行われた為、成果大半歴史埋もれてしまった。その記録多くリッチモンド陥落とそれに続くノリスの家の火事時にになったが、ノリスはそれらを個人文書だと主張している。

※この「南軍の信号司令部」の解説は、「南北戦争の信号司令部」の解説の一部です。
「南軍の信号司令部」を含む「南北戦争の信号司令部」の記事については、「南北戦争の信号司令部」の概要を参照ください。

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