南軍への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 02:17 UTC 版)
北軍による海上封鎖は強力な武器となり、わずかな人命との引き替えに南部経済を結果的に破綻させた。封鎖は綿花輸出量を著しく減らし、武器弾薬の輸入を締め付けた。海上封鎖の成功した要因は数少ない船を擦り抜けさせたことではなく、何千という船に断念させたことだった。通常の貨物船は封鎖を突破する事がほぼ不可能だったため南部の港を訪れることを止めた。また、海上交通も事実上停止したため連合国内の長距離輸送は南部のオンボロの鉄道に頼るしかなかったが海上封鎖の破壊的影響に打ち勝つことはできなかった。海上封鎖は他にも悪影響を及ぼし、特に食料の不均衡配分が深刻だった。戦争期間を通じて、南部は十分な食料を生産していたがそれを食料が欠乏している地域へ輸送することが非常に難しくなっていった。補給線の末端に位置していた北バージニア軍は戦争の終盤では常に物資の欠乏を味わった。 リッチモンドや他の都市でたまに起こったパン暴動は、愛国主義でも主婦の要求を満足させるほど十分ではなかったことを示した。牛追い人には陸路が残っていたが、1863年に北軍がミシシッピ川を制圧した後では、馬、牛および豚をテキサスやアーカンソーから連合国東部に運ぶことが不可能になった。海上封鎖はアメリカ海軍の勝利であり、戦争そのものに勝利する主要要因となった。
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