南軍海軍の指揮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:47 UTC 版)
「ジャクソン砦・セントフィリップ砦の戦い」の記事における「南軍海軍の指揮」の解説
ミシシッピ川下流の狭い水域に3つの異なる組織があることで、艦隊指揮の状況は既にまずい状態にあったが、下流のファラガットの戦隊が形成されたことが明らかになったときは、さらに悪化し始めた。艦隊司令のホリンズはこのときメンフィス近くにいた。メンフィスは当時南軍が保持した川沿いの最北の地であり、陸軍省はその維持のために何ら力を割くことができないと言っていた。ホリンズはメキシコ湾からの脅威がリッチモンドが考えているものよりも厳しいことが分かっていたので、ラベル将軍からニューオーリンズの防衛のために戻ってくるよう要請があった時には応じる用意があった。まだメンフィスに居るときに、リッチモンドに電報を打って、ファラガットの戦隊が砂州を通過するために軽くされている状態の時にその艦船を攻撃する許可を求めていた。その要請はあまりに強硬だったので、実際上不服従と解釈された。ホリンズはリッチモンドに呼び出され、表面上は検査委員会任務ということだったが、事実上現役任務から外されていた。以前からの設定により、ニューオーリンズ近辺での南軍海軍艦船の指揮は、この時まで海軍造船所の指揮官だったウィリアム・C・ウィットルに渡されることになった。ウィットルはその新しい任務を全て独力で処理できるとは考えてもいなかったので、4月18日にCSSマクレイ、ジャクソン、マナサスとその支援艦船の指揮を副司令官であるジョン・K・ミッチェル海軍中佐に渡した。これらの艦船は全て当時進水している南軍海軍の艦船であり、ルイジアナとミシシッピはまだ進水しておらず、明白にウィットルやミッチェルの指揮下には無かった。後に、ルイジアナが進水してまだ完工はしていない時に、ミッチェルの支配下に組み入れられた。 ラベル将軍は水上にある全ての艦船がミッチェル中佐からの命令を受けるように命令することで、指揮上の混乱を避けようとした。しかし河川防衛艦隊の指揮官ジョン・A・スティーブンソンは海軍の命令受け入れを拒んだ。スティーブンソンは軍事的なことよりも契約上のことで、陸軍に対するその戦隊の関係があったので、反乱と見られる行動を避けることができた。
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