南北戦争の記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/25 10:13 UTC 版)
「マシュー・ブレイディ」の記事における「南北戦争の記録」の解説
南北戦争がブレイディの事業に与えた影響は当初、出征する兵士に「カルト・ド・ビジテ」が売れたことで売り上げが著しく増加した。実際にブレイディはすぐに、出征する若い兵士の両親を対象に、息子が戦争で失われる前に写真を撮っておくというアイディアを売り込み、「ニューヨーク・デイリー・トリビューン」に「それが遅すぎたと直ぐに言うわけにはいかない」と警告する宣伝を載せた。しかし、間もなく戦争自体を記録するアイディアに飛びついた。まず古い友人であるウィンフィールド・スコット将軍に、戦場に行く許可を申請し、最後はリンカーン大統領その人に対しても申請書を作った。リンカーンは1861年に、ブレイディがその仕事の諸掛を出すという条件で許可を出した。 南北戦争を大々的に記録にしようという努力は、その写真スタジオを戦場にもって来ることで、ブレイディ自身の歴史の一齣にした。明らかに危険性があり、財政的なリスクもあり、友人も止めたが、ブレイディは、「私は行かねばならない。私の足にある精神が『行け』と言っており、私は行った」と、後に語っていたとされている。この戦争で最初に人気を博した写真は第一次ブルランの戦いでのものであり、あまりに戦場に近づきすぎて、危うく捕虜になるところだった。写真を撮れる前に戦闘が終わっていることが多かったのとは対照的に、ブルラン、ピーターズバーグ、フレデリックスバーグの各戦闘で経験したように、直接砲火の下に出くわしたこともあった。 ブレイディは、アシスタントとしてアレクサンダー・ガードナー、ジェイムズ・ガードナー、ティモシー・H・オサリバン、ウィリアム・パイウェル、ジョージ・N・バーナード、トマス・C・ロシェの他、17人を雇い、そのそれぞれに移動式の暗室を支給し、南北戦争の戦場に出て行って現場の撮影を行わせた。ブレイディは概してワシントンD.C.に留まり、そのアシスタントを動かすことに終始しており、自ら戦場に赴くことはめったに無かった。実際のカメラの操作は機械的なものが重要だったが、「シャッターを押す」以上のものでなければ、写真を写す現場を選ぶことが重要だった。これは1850年代にブレイディの視力が衰え始めていたという事実に、少なくとも一部は負っていた可能性がある。ブレイディのコレクションに入った写真の多くは、実際のところ、そのアシスタントの作品と考えられた。ブレイディは他の者の作品を自分のものとする傾向があると見えたが、それが意図的なものなのか、あるいは具体的写真の撮影者を記録する意思が単純に欠けていたのか、明らかではない。ブレイディの写真の多くは情報が欠けているので、それを誰が撮影したかだけでなく、正確に何時、どこで撮影されたのかも知るのが難しい。さらにブレイディが記録化を無視する意図だったのかも分からない。おそらくは、解釈の誤りである。実際のところ、撮影された写真はブレイディに関わり、そのスタジオで処理されたので、大半がブレイディのものに帰されることになる。それ故に、全ての責を負うことにはならず、自分の作品とアシスタントの作品に適当な評価が得られるよう記録化しておくべきだったということである。ブレイディがそれを怠ったので、大いに批判されることとなった。 1862年10月、ブレイディはニューヨークの自分のギャラリーで、「アンティータムの死体」と題するアンティータムの戦いに関する写真展を開催した。展示された多くの写真は死骸を写したものであり、アメリカでは新しい展示だった。これは、以前の「画家の描いたもの」とは異なり、多くのアメリカ人が戦争の現実を写真で見た初めての機会となった。 ブレイディはその雇用した多くのアシスタントを通じて、南北戦争の数多い写真を撮影した。南北戦争に関する通常の理解の多くはこれらの写真から得られている。アメリカ国立公文書記録管理局やアメリカ議会図書館にはブレイディや、そのアシスタントであるアレクサンダー・ガードナー、ジョージ・バーナード、ティモシー・オサリバンが撮影した、数多い写真が保管されている。それら写真の中にはエイブラハム・リンカーン大統領、ユリシーズ・グラント中将を始め、宿営中や戦場での普通の兵士が収まっている。それらによって、南北戦争の歴史の映像による相互参照が可能になっている。この時代の写真機はまだその開発の緒についたばかりであり、鮮明な写真を得るためには課題が残っていたので、ブレイディが戦闘の実際の場面を撮影することは適わなかった。 終戦後、戦争に倦んでいた大衆は戦争の写真を見ることへの興味を失い、ブレイディの人気と事業は劇的に衰えて行った。
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