十両昇進まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 04:28 UTC 版)
脱走の常習犯であったため、若の里は「入ってきた時から別格でしたね」と語る稀勢の里の対極として見ていてロクに期待してはいなかったが、稀勢の里が横綱昇進場所で優勝を果たした直後の雑誌の記事では「元々体の芯はしっかりしているので、幕下ぐらいの時に、もしかしたら関取になれるかも知れないと思いました。それが関取どころか三役に上がって、大関を目指すところまできましたからね」と若の里は高安が出世するにつれて見方を変えたことを話している。転機となったのは2006年に父が腎臓がんを患い腎臓を1個摘出する大手術を受けて経営していた飲食店を手放したことであり、これを本人は大関昇進直後の時期に「父親が望むことは相撲で大成すること。そういう状況で『頑張れ』と言われてすごく身に染みた。ウカウカしていられない。結果を出して喜んでもらいたいという気持ちが強かった。土俵に足がつくようになって番付も上がった」と話している。横野レイコの記事では鳴戸が高安を怒ったことはないとされており、ある日の夜、呼び出されて鳴戸の部屋に行くと、鳴戸は冷蔵庫からアイスを取り出し、食べさせてくれたという。高安は「あの時、厳しくされていたら、今の自分はなかったかもしれない。師匠はよく見てくれていました」と、今は亡き恩師に感謝している。高安の才能を評価していた鳴戸は、ある時期自分の付け人に高安を指名して、手取り足取り相撲のことを叩き込んだ。三段目の上位まで番付を上げた頃、初めて稀勢の里に胸を出してもらったが、その時の感覚を後に高安は「何回ぶつかっても下がらない。全身の関節一つ一つがミシミシ来るような重さを感じた」と振り返る。こうした稽古を含め、1日100番を超える稽古で強くなっていった。食事は1食7品目から8品目で野菜が多く、栄養食により高安の体は強くなっていった。 2010年9月場所では、西幕下13枚目の位置で7戦全勝の成績を挙げて幕下優勝を果たし、内規により翌11月場所において新十両へと昇進し、舛ノ山(千賀ノ浦部屋、高安と同じく日比ハーフ)と共に、平成生まれでは初となる関取力士となった。十両昇進に際して「苦労がムダじゃなかった」「やめたいときもあった。両親の応援が支えになった」とコメントし、鳴戸は「三役、その上を狙える」と期待した。十両に昇進した際も「一族が高安のしこ名で相撲を取ってくれたらありがたいと言っています」「『高安』姓をみんなに知ってもらいたい」と父が本名にこだわりを持っていることから下の名前も含めて変えず、大関昇進後も本名を一字も一音も変えずに取り続けている。
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