陸奥部屋入門から十両昇進まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 05:20 UTC 版)
「霧馬山鐵雄」の記事における「陸奥部屋入門から十両昇進まで」の解説
陸奥親方が部屋に5人のモンゴル人を体験入門させてから1ヶ月ほどが経った頃、親方は後援者からの催促もあって、「親孝行がしたい。将来は日本に両親を呼びたい」と言ったハグワスレンを弟子として受け入れることを決断した。ハグワスレンは2015年2月28日の新弟子検査を受けて合格し、興行ビザの取得を待って同年5月場所で初土俵を踏んだ。2015年5月場所初土俵の同期生には千代の海がいる。新弟子が通う相撲教習所では、自身は相撲未経験ながら、北勝富士(当時の四股名は大輝)や宇良ら学生相撲出身で後に幕内まで上がる力士相手に堂々と渡り合っていた。 序ノ口、序二段は各1場所で通過し、三段目に昇進した同年11月場所は7戦全勝で三段目優勝を果たした。2016年1月場所で幕下に昇進。同年5月場所後の稽古中に左膝内側側副靭帯部分断裂の重傷を負い、翌7月場所は自身初めての休場となって三段目へ陥落したが、1場所で幕下へ復帰し、同年11月場所以降は幕下に定着した。2017年9月場所は、左手の小指付近を手術した直後だが強行出場。しかし、最初の相撲であっさり敗れたため、2番目以降は休場となった。 2018年5月場所は、西幕下35枚目の地位で7戦全勝とし、自身初めての幕下優勝を果たす。翌7月場所は十両目前の西幕下3枚目まで上がったが、最後の相撲で負け越して十両昇進を逃した。西幕下筆頭となった2019年1月場所は、最初の相撲で十両力士と対戦して敗れるも、2番目から4連勝して勝ち越しを決め、十両昇進を確実な状況とした。場所後の番付編成会議で、正式に3月場所での新十両昇進が決定した。陸奥部屋からの新十両誕生は、2008年1月場所の霧の若以来、約11年ぶりのことだった。入門当初、師匠から「関取になるまでモンゴルに帰るな」と命じられたが、その約束を果たした格好となった。
※この「陸奥部屋入門から十両昇進まで」の解説は、「霧馬山鐵雄」の解説の一部です。
「陸奥部屋入門から十両昇進まで」を含む「霧馬山鐵雄」の記事については、「霧馬山鐵雄」の概要を参照ください。
- 陸奥部屋入門から十両昇進までのページへのリンク